アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第11章

(p.101)
XI
選挙制度

 前の章でも明らかにした通り、この憲法案が提唱する選挙制度は、むらパンチャーヤットでは直接制、タルカ、地区、州、全インド中央政府に関しては間接制を採っている。この制度は、直接選挙と間接選挙両方の、いちばんの長所を結合するものだ。村の選挙は直接制で、それが最大限の地方自治をもたらす。また上位組織の機能は助言や調整が主なので、間接選挙が適切なやり方である。それは、とくにインドのような広大な国で、直接選挙に莫大な労力や時間、お金が浪費されるのを防ぐ。また政党や宗教的排他主義の不健全な成長をかなりの程度、自動的に抑制する。間接選挙を行なうのは少数の責任ある個人に限られるため、買収や賄賂の入りこむ余地はない。のみならず、上位組織の代表者を、選挙民を忘れる立場に置かない。なぜなら、かれらはその地位を下位パンチャーヤットからの委任に負っているからだ。この憲法案では、下位パンチャーヤットの長はその職務として、一つ上位のパンチャーヤットの構成員を兼任する。だから、全インド・パンチャーヤットの長でさえ、自分の村のパンチャーヤット長でもあり、どうじにタルカ、地区、州それぞれのパンチャーヤット長でもある。だから、かれは人びとの困難や要求を知り抜き、また感知できることになり、たんなる「肘掛椅子に収まった」政治家ではありえない。いかなる上位組織の構成員も、人びとに対して市民としての責務を満足に果たせなければ、つぎの選挙で当選する見込みはなくなる。それどころか、自分の村のパンチャーヤットから解職請求されることもありうるが、そのときは、より上位のすべての組織でも資格を剥奪されることになろう。そして村の選挙民は少数で、選挙への立候補者を直接にかつ詳しく知っているため、選挙詐欺の可能性は根絶されるであろう。

参政権

 参政権や投票資格が問題となるのは、むらパンチャーヤットの選挙に限られる。村の選挙は、カースト、信条、性別、宗教、社会経済的立場、学歴に関していっさい差別しない、成人の参政権に基づく。読み書き能力も、投票人の資格として必須ではない。ガンディーが言うには、
「私がおよそ耐えられない考えとは、『選挙権は富裕なものが持つべきで、人格が優れていても、貧しいか読み書きできないものは持つべきでない』あるいは『日々額に汗して正直に働く者は選挙権を持つべきでない、なぜなら貧しさという罪を負っているから』といったものだ・・・私は読み書き能力に関して、選挙人たるには最低『3つのR(読み・書き・計算)#1』を知っていなければ、といった教説には惹かれない。私も、人びとに3つのRは知っていてほしい。しかし同時に分かっているのだが、かれらが3つのRを知り、それから選挙人資格を与えられるまで待たなければならないとしたら、その日は『ギリシャの朔#2』であろうし、それまでずっと待ち続ける自信はない。」*1


#1 =Reading, wRiting, aRithmetic
#2 原文ではGreek Kalends。古代ギリシャ時代には西暦が始まっていないことに鑑み、「決して来ない日」の例え。
*1 円卓会議での演説から。

特別資格

 パンチャーヤットの構成員や役員[の資格]に厳格なルールを嵌めることはできないが、以下に挙げるような特長を重視して、選挙人はどの候補者に票を投じるか選ぶべきだろう。

(a) 読み書き能力と全般的な教育程度。
(b) 市民生活におけるじゅうぶんな経験。
(c) 財政的な独立(収賄の機会を除くため)。
(d) 堅実で無私な、むら共同体への奉仕の実績。

 この道理で行けば、票の勧誘などはすべて欠格事項と見なせる。パンチャーヤットの構成員になることは重い責任を負うことであり、単なる名誉職とか役得の類と考えてはならない。

統一選挙

 この憲法案が保証する基本権はたいへん明確なので、分離選挙あるいは宗教別選挙の必要は消滅する。じっさい、イギリス人官僚がこの国に導入した分離選挙は、宗教的な苦難や不和の根本的な原因の一つである。この点は後述する「少数者問題」の章で徹底的に議論されよう。ここでは差し当たり、統一選挙こそが、この自由なインドのための憲法における代表制の根底をなす、と述べるにとどめる。

くじ引き選挙

 以下のような、たいへん興味深い古代の選挙制度が、ウッティラメルール#1の二つの有名な碑文から明らかになっている。
「村には12本の通りが走り、選別のために30の住区、あるいは選挙単位に分けられた。集会がそれぞれの区で持たれると住人は集まらねばならず、各人は札に投票したいと思う者の名前を、集会で定めた委員としての適性に照らしてよく考えたうえで記入しなければならない。それから札は30の住区別に包まれた。それぞれの包みにはその住区の名前が、施された『封緘札』に記された。これらの包みは壺に納められた。それから壺は『大集会の総会』の場に引き出されたが、そこには(構成員の)老いも若きも、その日たまたま村にいた僧侶たち全員も『いかなる例外もなく』大集会の開かれる内陣に集まった。『僧侶たちの中から、そのいちばんの年長者が立ち上がり、その壺を持ち上げ、みんなに見えるよう掲げた。』『その中に何が入っているのかも知らない幼い少年がひとり、包みの一つを取り出すよう命じられた。この包みの中の札はそれから「別の空の壺に移し替えられて振られた」』すなわち、入念に混ぜられた。それから少年は壺の札を一枚引き、仲介者(madhyastha)に渡した。『こうして与えられた札を、仲介者は五本の指を開いた掌で受け取る。こうして受け取った札に書かれた名前をかれは読み上げる。かれが名前を読み上げた札は、内陣に控える僧侶全員も読み上げる。こうして読み上げた名前が、書き留め、承認される。』こうして30の名前が選ばれ、それぞれの住区を代表する。」*1

 このくじ引きによる選挙方式は真に民主的とは言えないかもしれないが、村の社会生活に透明さと善意をうながすだろう。それらを欠いている点で、現代の選挙にともなう苦痛や憎悪は際立っている。この古代のやり方は、必要な修正を施した上で、場合によっては復活させてよいだろう。たとえば、さいしょに一群の候補者を記名あるいは無記名投票で選出すれば、その中から一人をくじ引きで選ぶこともありうる。なぜなら、その候補者群の人びとはみな、ほぼ同様に優れた資質を備えているだろうから。こうした「候補者群からくじ引き」方式は民主的かつ調和の取れたものであろう。#2ゆえに、この選挙手法を、統治のなるべく多くの分野で採れるようなやり方の研究が望まれる。

*1 “Local Government in Ancient India” by Dr. Radhakumud Mookerji, pp.171-172
#1 原文ではUttaramallur、タミルナードゥ州の町で、チョーラ朝の10〜12世紀に作成された碑文がヒンドゥー寺院に残されており、当時の地方自治の様子を伝える重要な史料となっている。
#2 少数者問題に関連している。