支援技術に関する世界報告書(Global Report on Assistive Technology):要約

支援技術を必要とする人びとの大半がそれを利用できておらず、それが各々の教育・生業・健康・幸福に、そして家族・地域・社会に重大な影響を及ぼしていることに思いを馳せながら、2018年5月の第71回世界保健総会において、加盟国は「支援技術へのアクセス改善」に関する決議を採択した。加盟国は世界保健機関(WHO)事務局長に対し、数々の付託任務の中でもとりわけ支援技術への効果的アクセスに関する報告書を、統合的アプローチに則り、最も有効な科学的証拠と国際的経験に基づき、事務局内のすべての関連部門が参加し、関連するあらゆる利害関係者との協働によって作成するよう要請した。

 

その熱意に応え、支援技術へのアクセス改善を目指すべく、この世界報告書は:

 

・支援技術へのアクセスの現況に関する包括的なデータ一式および分析を提示し、

・政府および市民社会に対し、支援技術の必要性と有益さについて、その投資効果との関連も含め注意を喚起し、

・アクセス改善のための具体的な行動を提言し、

・「国連障害者の権利に関する条約」の履行を支援し、

・「持続可能な開発目標」の達成、特にユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)をインクルーシブな、だれひとり取り残さないものにすることに寄与するものである。

 

この世界報告書では、多様な観点から支援技術について考察している。

 

支援技術への理解

 

「支援技術」とは支援製品および関連するシステムとサービスを包含した用語である。支援技術は、障害者・高齢者・慢性疾患を抱える人びとの家族、地域、また政治的・経済的・社会的部面など社会のあらゆる分野へのインクルージョン・参加・関与を可能にし、また促進する。

 

支援製品は、認知、コミュニケーション、聴覚、移動、セルフケア、視覚などの主要な機能領域において発揮できる能力を高める。それには車椅子、眼鏡、補聴器、義肢、装具、歩行器、失禁パッドなどの物理的製品もあれば、コミュニケーション、時間管理、モニタリングなどを支援するソフトウェアやアプリなどデジタル製品もある。

 

また可搬式のスロープや手すりなど、物理的環境を適合させるものもある。

支援技術を必要とする人には、障害者、高齢者、軽視されている熱帯病を含む伝染性および非伝染性疾患を抱える人、精神疾患を抱える人、漸次的な機能低下や生得的能力の喪失がある人などが含まれる。また人道的危機においては、ほとんどの場合支援技術の必要性が高まる。

 

支援技術は生涯にわたり重要である。障害児による支援技術の利用は多くの場合、幼少期に発達を遂げ、教育にアクセスし、スポーツや市民生活へ参加し、就職に向けて準備するための第一歩となる。加えて障害児は、成長することによりひんぱんに支援機器の調整や交換が必要となるという課題を抱えている。障害者は、現在抱えている関連領域での機能的困難に加え、加齢にしたがい他の機能領域でも徐々に機能が低下することから、さらに困難を経験することになる。

 

支援技術へのアクセスはひとつの人権であり、機会と参加における平等の前提である。その必要性は高まっているものの、それが裨益するはずの人の大半が、じゅうぶんにアクセスできないでいる。しかし、みな生涯のうちに、特に加齢につれて支援技術が必要となってくる。

支援製品のポジティブな影響は、ユーザー個人の健康、幸福、参加、インクルージョンの向上にとどまらず、家族や社会をも裨益する。政策への要求に加えて経済・社会的に有益であることが、保健・福祉制度での支援製品および関連サービスへ投資する意義なのである。

 

支援技術へのアクセスを測定する

 

現在の世界における支援技術へのアクセス状況をよりよく理解するため、35か国から約33万人のデータが収集された。29か国における抽出式の自己報告による人口調査に基づき、WHOと国連児童基金UNICEF)では、1つ以上の支援製品から益される人びとは25億人に上ると推定している。高齢化が進み、非伝染性疾患が世界中に蔓延しつつあることから、2050年には、この数は35億人を超えると予想されている。支援製品へのニーズには本人の機能的能力、認識の程度、社会経済的状況、生活状況、環境との相互作用など、多くの要因が影響する。しかしアクセスの点で言えば、国ぐにの間に地球規模の不公正がある。これらの国ぐにでの調査結果では、推定アクセス(すなわちニーズがある人のうち、そのニーズが満たされている人の割合)には3%から90%のばらつきが示されている。ニーズもアクセスも、平均寿命・教育・一人当たり所得の指標を組み合わせた人間開発指数によって変化する。

 

70の加盟国が、自国の支援技術システムに関する調査に回答した。ほとんどすべての国が支援技術へのアクセスに関して1つ以上の法律を制定し、1つ以上の担当する省庁その他の機関を持っていた。ほとんどの国で、支援技術に公的予算が割り当てられ、支援技術にかかるユーザーの費用を全額または一部負担するための資金調達の仕組みも整っていた。

いくつかの国では、支援技術への規制・基準・ガイドラインが整備されていた。多くの国で、特に認知・コミュニケーション・セルフケアの領域において、支援技術のためのサービス供与および教習を受けた人材における大きな格差が報告されている。

 

ほとんどの調査対象国で、支援技術に対する国全体のニーズは完全に満たされているとはとても言えなかった。人びとが必要とする支援製品を入手するため、価格・入手可能性・必要な支援について改善が必要である。

 

支援技術に対する障壁を見定める

 

支援技術へのアクセスには、認知不足や価格の手の届かなさ、サービスの欠如、製品の品質・種類・量の不足、調達やサプライチェーンにおける課題など、多くの障壁がある。また支援技術を担う人員における能力格差や、この分野の政策的認知度の低さも存在する。さらに年齢、ジェンダー、機能的困難の種類と程度、生活環境、社会経済的地位に関連する障壁に直面することもある。したがって、安全で、効果的で、手が届く価格の支援技術へのアクセス改善方策では、人間中心の権利に根ざしたアプローチを採り、支援技術のあらゆる側面で積極的にユーザーの関与を得ることが重要である。

 

支援技術システムを改善する

 

支援技術システムの改善とは、製品・供与・人材・政策という4要素を開発し強化することである。可能であれば、支援技術は保健および社会的ケアシステムへ統合すべきである。

 

製品:支援製品の品揃え・品質・価格の手ごろさ・供給は改善すべきである。可能な場合は、修理・改修・再利用による方が新品の支援製品購入より迅速で、費用対効果も高い。支援製品の規格を強化し整合させれば、安全性・性能・耐久性を保証し、調達プロセスを簡素化できる。サプライチェーンの非効率性と強靭さに対処すれば、取引の費用と混乱を減らせる。この点では、現地や地域での生産が中心的な役割を果たす。

 

供与:支援製品および関連サービスの供与や提供は、農村部も含めできる限り人びと自身の地域に近いところで行なうべきである。サービスのデザインは、その機能障害や機能的困難の種類と性質とを考慮しながら個人の必要に応じて供与されるべきであり、適切であれば早期の特定や介入を含む。サービスは、子どもや高齢者へのものを含め、さらなる傷害や障害を最小限に抑え、予防するよう設計すべきである。情報および紹介・相談のシステムは簡素化すべきである。サービスは、すべての地理的領域と集団にわたって提供されねばならない。調達し提供する支援製品の範囲・量・質、ならびに提供するサービスの効率には改善が必要である。ユニバーサル・ヘルスケアおよび社会的ケアサービスに支援技術を含めることは、その重要な一部をなす。

 

人材:だれもが、どこでも支援技術へアクセスできるために必要な人員が計画され、配置される必要がある。支援技術の専門職員のみならず関連する人員および支援ネットワークへの教習や教育、例えば業務分散、業務分担、地域レベル職員への教習などが前提条件として必要である。適応性のある人材配置モデルと優れた定着戦略が不可欠である。

 

政策:政策は、上記の3要素を包括する。また情報システム、資金調達、リーダーシップ、ガバナンスもこれに含まれる。普遍的な権利に基づいた支援技術へのアクセスを、だれにでも、どこでも確保するためには、政治的意思・法制度・じゅうぶんな資金、恒久的な実施体制および構造が必要である。

 

人道的危機における支援技術の準備

 

あらゆる危機、特に戦争や紛争では支援技術に対して大きな需要がつくり出されるが、その供与は、緊急対応における優先事項とはなっていない。人道的状況における支援技術への障壁を低減するための取り組みとしては、人道的状況に適した支援製品を設計・製造、人道的危機において医療・保健製品の供給を担当する機関のカタログやリストに支援製品を含めることなどがある。これは、支援技術を、緊急医療または保健チームがそれを必要としている人を選び出した時に利用可能であるようにすることや、人道的対応のあらゆる段階に参画する地域レベルから国際レベルまでの関係者が、機能的困難に対処するための支援技術への意識形成を組み込んだ、インクルーシブな方針と実践に関する教習を受けることを意味する。人道的状況における取り組みではまた、緊急対応の方針とプログラムがユーザーの権利を、ニーズが満たされた者についても満たされざる者についても、ともに保護するよう保証すべきである。

 

可能性を引き出す環境を整える

 

可能性を引き出す環境は、高齢者や障害者に優しい環境であれ、スマートシティやスマートビレッジであれ、バリアフリーやアクセスしやすい環境であれ、ユニバーサルデザインやインクルーシブデザインであれ、すべての人を裨益する。支援技術からの益が最大になるのは、それを使用する環境が、ユーザーと支援製品が機能することを可能にし、向上させる時である。環境に含まれるものは製品や機器、造られた環境、仮想環境、自然環境、環境に対する一時的および永続的な人為的変化、サービス、システム、政策、支援、人間関係、考え方などがある。これらは、公共交通機関、保健医療、教育などの一部を構成している。

 

可能性を引き出す環境は、支援的な政策やアクセスしやすくインクルーシブなデザインを通してつくり出される。これを達成するため重要なアプローチの一つは、ユニバーサルデザインの原則を応用し、調整や特別なデザインを必要とせずに主流の空間・製品・サービスにアクセスし、それらを利用できる人の範囲を広げることである。

 

前進するために

 

本報告書では、支援技術の革新的なアクセス改善およびユニバーサル・カバレッジに向けて取り組む各国および関係者の指針となるよう、10の提言を述べる。

 

提言1:あらゆる主要開発部門において支援技術へのアクセスを改善すること。支援技術供与はあらゆる主要開発部門、特に保健・教育・労働・社会的ケアの分野に組み込む必要がある。すべての国が統合的または単独の支援技術政策と、経済的な困難なく、だれもが、どこでも支援技術にアクセスできるためにじゅうぶんな予算支援を伴った行動計画を持つことが必要である。必要ならば、障害児、複合的あるいは重度の障害を持つ人びと、高齢者、その他の脆弱な人々に特別な焦点を当てるべきである。

 

提言2:支援製品が安全で、効果的で、価格が手ごろであるようにすること。支援製品は価格が手ごろで、耐久性があり、安全で、効果的でなければならない。これには必要な規制体系および規格の開発または強化、サプライチェーンに組み込んだ体系的なフィードバックのしくみ、能力ある人員の支援による支援製品の提供、使用とメンテナンスの教習のみならず製品の選択に対するユーザーとその家族の積極的な関与が含まれる。国連機関はその調達能力と専門知識を活用し、政府その他の適切な関係者が国際入札を利用できるようにしてこれらの障壁を緩和し、品質基準が世界全体で維持され、最も価値あるお金の使い方がされるようにできる。

 

提言3:人員を拡大し、多様化し、能力を育成すること。支援技術部門で働く人材の知識・スキル・やる気・考え方・配置は成功の鍵である。支援製品の供与やメンテナンスのために、さまざまな分野や技能が組み合わされ、じゅうぶんかつ教習を受けた人材が、医療・社会的サービスの第三次産業から地域レベルまで、あらゆるレベルに用意される必要がある。専任および関連職員の能力育成への投資が必要である。WHOの支援製品教習 (TAP)やその他の類似の教材は、人員への教習に使える。

 

提言4: 積極的に、支援技術ユーザーおよびその家族の参画を得ること。ユーザーおよびその家族は受動的なサービス受給者ではなく、サービス提供のデザインからモニタリングと評価に至る支援技術供与のパートナーと考えるべきである。支援技術サービスは、疾病や機能障害、資金調達ではなく本人とその生活環境を中心に構成すべきである。ユーザーおよびその家族や介助者には、簡単な修理、メンテナンス、必要な調整を行なうよう奨励し、教習を施せる。当事者どうしの教習や支援を奨励すべきである。

 

提言5:世間の関心を高め、スティグマと闘うこと。政策立案者、納税者、特に保健、教育、社会的サービス供与者、メディア、公衆などすべての主要な関係者に、支援技術の必要性と有益さ、投資対効果をじゅうぶんに認識させること。支援技術部門は、よりよい製品デザイン(できればユニバーサルデザイン)、より多く受容されることを通してスティグマを払拭できる。政治的支援は、支援技術部門が権利に基づくアプローチによってユニバーサルカバレッジを達成するよう発展するために必要である。

 

提言6:データおよび証拠に基づく政策に投資すること。すべての国は、人口に基づく定期的なデータを支援技術へのニーズ・需要・供給に関して取り、そこでのギャップと傾向とを理解し、証拠に基づいた戦略・政策・包括的プログラムを開発すべきである。人口に基づくデータを収集するには、WHOの「迅速支援技術査定ツール (rATA)」が使える。可能なところでは、支援技術データの収集プロセスは国による他のデータ収集活動や健康情報システムに統合できよう。優れた定期的なデータ収集に投資し、証拠に基づく政策を生み出すことが、質の高いサービスとユニバーサルカバレッジを支えるであろう。経験・情報・証拠を共有するしくみを確立することで、部門や国を横断した政策的意思決定を支援できる。

 

提言7:研究・革新・可能性を引き出す共生構造へ投資すること。支援技術部門は、技術進歩とニーズの進化により急速に変化している。高齢化をはじめとする新興ニーズを考慮すると、支援製品が適正で、価格が手ごろで、安全で、効果的で、最も必要としている人びとが利用できるための投資には喫緊の必要がある。支援技術の4大構成要素に関連した研究と革新への投資が、知識を増し、既存の製品群を変革し、新興技術を駆使した新製品を開発し、デジタル技術、ユニバーサルデザイン、主流の消費者製品を活用した革新的なサービス提供プロセスを開発するために必要である。これは学術界、市民社会組織(とりわけ障害者や高齢者およびその代表組織)、適切ならば民間部門との提携を通じて達成できよう。こうした取り組みは、課題を克服し製品を迅速に市場に投入するための「スタートアップ事業」に投資し、それを可能にすることによって支援できる。

 

提言8:可能性を引き出す環境を開発し投資すること。可能性を引き出す環境は、ユーザーの自立・快適さ・参加・インクルージョンにとり死活的に重要である。それによってユーザーは、ユーザーや介助者の最小限の努力で意図した通りに支援製品を使えるようになるからだ。可能性を引き出す環境は、万人を裨益する。可能性を引き出す環境への投資は、支援技術供与の目的を最適化する、つまり人びとが尊厳をもって自立して安全に生活し、生活のあらゆる部面に完全に参加できるようにするための、主要な前提条件である。

 

提言9:人道的対応に支援技術を含めること。人道的対応での支援技術供与は、潜在的ユーザーが生産性と尊厳を回復し、同時に分かち合いとインクルージョンを増進する。危機的状況にあるユーザーがさらに不利にならず、新しい潜在的ユーザーが必要とする支援技術へアクセスできるようにする取り組みが絶対に必要である。必要不可欠な支援製品は、外傷用緊急手術キットと共に必要不可欠な医療用品に含められる。業務分散に焦点を絞った教習教材は、迅速に適合させ翻訳できる。統合された適正なサービス供与を、支援製品と関連サービスとが長期的に使用するものと互換性を持つように設定できよう。緊急対応施設は、バリアフリーかつインクルーシブであること。

 

提言10:各国の取り組みを支援するため、国際協力を通じた技術的・経済的支援を与えること。国連障害者の権利に関する条約第32条が述べる通り、各国の取り組みを支援する国際協力は、支援技術へのアクセスを全世界にわたって向上させるために必要である。

こうした協力は、研究・政策・規制・公正な価格設定・市場形成・製品開発・技術移転・製造・調達、供給・サービス提供・人材などの分野での取り組みを支援できる。国際協力は、不公正を減らし、ゆくゆくは支援技術へのユニバーサルアクセスを達成するために不可欠なのである~だれひとり取り残さないために。

アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第11章

(p.101)
XI
選挙制度

 前の章でも明らかにした通り、この憲法案が提唱する選挙制度は、むらパンチャーヤットでは直接制、タルカ、地区、州、全インド中央政府に関しては間接制を採っている。この制度は、直接選挙と間接選挙両方の、いちばんの長所を結合するものだ。村の選挙は直接制で、それが最大限の地方自治をもたらす。また上位組織の機能は助言や調整が主なので、間接選挙が適切なやり方である。それは、とくにインドのような広大な国で、直接選挙に莫大な労力や時間、お金が浪費されるのを防ぐ。また政党や宗教的排他主義の不健全な成長をかなりの程度、自動的に抑制する。間接選挙を行なうのは少数の責任ある個人に限られるため、買収や賄賂の入りこむ余地はない。のみならず、上位組織の代表者を、選挙民を忘れる立場に置かない。なぜなら、かれらはその地位を下位パンチャーヤットからの委任に負っているからだ。この憲法案では、下位パンチャーヤットの長はその職務として、一つ上位のパンチャーヤットの構成員を兼任する。だから、全インド・パンチャーヤットの長でさえ、自分の村のパンチャーヤット長でもあり、どうじにタルカ、地区、州それぞれのパンチャーヤット長でもある。だから、かれは人びとの困難や要求を知り抜き、また感知できることになり、たんなる「肘掛椅子に収まった」政治家ではありえない。いかなる上位組織の構成員も、人びとに対して市民としての責務を満足に果たせなければ、つぎの選挙で当選する見込みはなくなる。それどころか、自分の村のパンチャーヤットから解職請求されることもありうるが、そのときは、より上位のすべての組織でも資格を剥奪されることになろう。そして村の選挙民は少数で、選挙への立候補者を直接にかつ詳しく知っているため、選挙詐欺の可能性は根絶されるであろう。

参政権

 参政権や投票資格が問題となるのは、むらパンチャーヤットの選挙に限られる。村の選挙は、カースト、信条、性別、宗教、社会経済的立場、学歴に関していっさい差別しない、成人の参政権に基づく。読み書き能力も、投票人の資格として必須ではない。ガンディーが言うには、
「私がおよそ耐えられない考えとは、『選挙権は富裕なものが持つべきで、人格が優れていても、貧しいか読み書きできないものは持つべきでない』あるいは『日々額に汗して正直に働く者は選挙権を持つべきでない、なぜなら貧しさという罪を負っているから』といったものだ・・・私は読み書き能力に関して、選挙人たるには最低『3つのR(読み・書き・計算)#1』を知っていなければ、といった教説には惹かれない。私も、人びとに3つのRは知っていてほしい。しかし同時に分かっているのだが、かれらが3つのRを知り、それから選挙人資格を与えられるまで待たなければならないとしたら、その日は『ギリシャの朔#2』であろうし、それまでずっと待ち続ける自信はない。」*1


#1 =Reading, wRiting, aRithmetic
#2 原文ではGreek Kalends。古代ギリシャ時代には西暦が始まっていないことに鑑み、「決して来ない日」の例え。
*1 円卓会議での演説から。

特別資格

 パンチャーヤットの構成員や役員[の資格]に厳格なルールを嵌めることはできないが、以下に挙げるような特長を重視して、選挙人はどの候補者に票を投じるか選ぶべきだろう。

(a) 読み書き能力と全般的な教育程度。
(b) 市民生活におけるじゅうぶんな経験。
(c) 財政的な独立(収賄の機会を除くため)。
(d) 堅実で無私な、むら共同体への奉仕の実績。

 この道理で行けば、票の勧誘などはすべて欠格事項と見なせる。パンチャーヤットの構成員になることは重い責任を負うことであり、単なる名誉職とか役得の類と考えてはならない。

統一選挙

 この憲法案が保証する基本権はたいへん明確なので、分離選挙あるいは宗教別選挙の必要は消滅する。じっさい、イギリス人官僚がこの国に導入した分離選挙は、宗教的な苦難や不和の根本的な原因の一つである。この点は後述する「少数者問題」の章で徹底的に議論されよう。ここでは差し当たり、統一選挙こそが、この自由なインドのための憲法における代表制の根底をなす、と述べるにとどめる。

くじ引き選挙

 以下のような、たいへん興味深い古代の選挙制度が、ウッティラメルール#1の二つの有名な碑文から明らかになっている。
「村には12本の通りが走り、選別のために30の住区、あるいは選挙単位に分けられた。集会がそれぞれの区で持たれると住人は集まらねばならず、各人は札に投票したいと思う者の名前を、集会で定めた委員としての適性に照らしてよく考えたうえで記入しなければならない。それから札は30の住区別に包まれた。それぞれの包みにはその住区の名前が、施された『封緘札』に記された。これらの包みは壺に納められた。それから壺は『大集会の総会』の場に引き出されたが、そこには(構成員の)老いも若きも、その日たまたま村にいた僧侶たち全員も『いかなる例外もなく』大集会の開かれる内陣に集まった。『僧侶たちの中から、そのいちばんの年長者が立ち上がり、その壺を持ち上げ、みんなに見えるよう掲げた。』『その中に何が入っているのかも知らない幼い少年がひとり、包みの一つを取り出すよう命じられた。この包みの中の札はそれから「別の空の壺に移し替えられて振られた」』すなわち、入念に混ぜられた。それから少年は壺の札を一枚引き、仲介者(madhyastha)に渡した。『こうして与えられた札を、仲介者は五本の指を開いた掌で受け取る。こうして受け取った札に書かれた名前をかれは読み上げる。かれが名前を読み上げた札は、内陣に控える僧侶全員も読み上げる。こうして読み上げた名前が、書き留め、承認される。』こうして30の名前が選ばれ、それぞれの住区を代表する。」*1

 このくじ引きによる選挙方式は真に民主的とは言えないかもしれないが、村の社会生活に透明さと善意をうながすだろう。それらを欠いている点で、現代の選挙にともなう苦痛や憎悪は際立っている。この古代のやり方は、必要な修正を施した上で、場合によっては復活させてよいだろう。たとえば、さいしょに一群の候補者を記名あるいは無記名投票で選出すれば、その中から一人をくじ引きで選ぶこともありうる。なぜなら、その候補者群の人びとはみな、ほぼ同様に優れた資質を備えているだろうから。こうした「候補者群からくじ引き」方式は民主的かつ調和の取れたものであろう。#2ゆえに、この選挙手法を、統治のなるべく多くの分野で採れるようなやり方の研究が望まれる。

*1 “Local Government in Ancient India” by Dr. Radhakumud Mookerji, pp.171-172
#1 原文ではUttaramallur、タミルナードゥ州の町で、チョーラ朝の10〜12世紀に作成された碑文がヒンドゥー寺院に残されており、当時の地方自治の様子を伝える重要な史料となっている。
#2 少数者問題に関連している。

アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第10章(2)

むらパンチャーヤット

 むらパンチャーヤットは法の執行を委託されているから、司法パンチャーヤットを別に設ける必要はない。貧しい農民に村から出て、苦労して得たお金を費やしながら数週間や数か月を町で訴訟のためにむだに過ごす必要はない。必要な証人はすべて村にいるのだし、自分じしんの係争で弁護士からしぼり取られる必要はない。もし法的にややこしい点が生じたばあいは、タルカあるいは地区から副判事が村に来て、パンチャーヤットを補佐し、難しい事件に判決を下せるようにすればよい。副判事の役割は、ガイド、友人あるいは哲学者として、無知な村人たちに国法を理解させることでもある。こうした司法制度は、簡潔で迅速かつ安上がりなだけでなく、「正義」でさえある。なぜなら民事や刑事事件の詳細は、多かれ少なかれ村では公然の秘密であり、そこに詐欺や法的マジック余地はないからだ。

*1 ‘The Hindusutan Times,’ October 22, 1945.

(p.99)
地区裁判所

 むらパンチャーヤットが、民事や刑事にわたる幅広い司法権力をもっている以上、タルカ裁判所は不要だろう。特殊な事件で、村むらから訴えがあった場合は、直接地区裁判所が受け付ける。町での争いごとも、地区裁判所が初審となる。その裁判官は地区行政官とは完全に独立で、地区パンチャーヤットが任命し、任期中は品行方正である限り罷免されない。

高等裁判所

 たいへん例外的な事件で、地区裁判所が提訴した場合は高等裁判所に預けられる。高等裁判所裁判官は行政から完全に独立で州パンチャーヤットが任命し、任期は品行方正である限り終身とする。

最高裁判所

 インド最高裁判所は国で最高の司法的権威をもつ。その機能は次の通り;

(a) 高等裁判所からの提訴を受理する。
(b) 憲法判断に関わる、連邦単位どうしの紛争から発生した事件を、初審として裁定する。
(c) 宗教に関する少数者の利益を、憲法が定める基本権を厳しく守らせることを通して保護する。

 ここの裁判官は全インド・パンチャーヤットが任命する。かれらは最高の能力と人格を備え、宗教的排他主義や党派政治とは完全に無縁の人びとでなければならず、その任期は品行方正である限り終身とする。

法律の見直し

 現行の民法や刑法は、インドの土壌にとっては外来種である。つまり複雑で難儀にすぎる代物だ。したがって、この新しい憲法のもとで、それらを徹底的に見直す必要がある。専門家による特別委員会を、この目的のためインド憲法制定会議は任命するであろう。

アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第9章(3)

連邦の構成単位

 全インド・パンチャーヤットは州や国ぐにの自発的な連合であり、それら連邦の各単位は、最大限の地方自治を行なう。地理や文化に立脚すればインドはひとつにして不可分なのだから、すべての州とインドに属する国ぐには、国民の福利を増進するそうした連合には喜んで加わるだろう。あらゆる努力が、親密な協同、および共通の国民生活の発展に必要な環境づくりに対して払われねばならない。
 しかし、いかなる単位領域も、その成人が表明し、確定した意思に逆らってまで全インド連邦への加入を強いられることがあってはならない。従来、分離独立に触れることは意図的に避けられ、自発的に参加することが暗黙の前提とされてきた。その適切な例としてソヴィエト連邦を挙げると、分離独立の権利は11の「連邦共和国」に限り与えられている。すなわち、数多くの他の単位、たとえば「自治共和国」などには保障されていない。その上、連邦共和国にとってさえ、分離独立権は名ばかりのものだ。現在よく知られているように、分離独立を引き起こすような活動を、ソヴィエトの裁判所は反逆ないし反革命とみなしている。
 しかし、武力を背景に何かを強要するといった問題は、非暴力主義の国家では起こりえない。連邦に加盟するのもしないのも連邦単位の自由であれば、分離独立権を合法的に留保する、といったことは起こるはずがない。しかし、「ガンディー主義憲法」のもと、寛容、善意、協同の空気が全体に満ちあふれるところでは、どんな分離独立への要求あれ、ありえない仮定、ということになるだろう。

言語
 全インド・パンチャーヤットのあらゆる業務はヒンディー語、またその表記はナーガリー[デーヴァナーガリー]またはウルドゥー文字による。

アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第10章(1)

(p.97)
X
司法

 英国政府がインドに導入した司法制度は、この国の社会経済生活にもたらされた一大惨事であった。かつてパンチャーヤットは、民事・刑事の裁判を即断即決でやっていた。ニセの証人や偽証は、パンチャーヤットに対する最大の罪とされてきた。だから正義は安価かつ公正だったのだ。いっぽう現代の法廷は反対に、非常に高くつく。まったく平凡な訴訟でさえ、処理に数年とは言わなくとも数か月はかかる。司法の混み入った手続きは、不正直と虚偽を助長する。たくさんの弁護士が村に客引きの網を張りめぐらし、純朴そのものの村人に、毎年数千万ルピーを下劣で無用な訴訟のためにつぎ込ませ、搾り取っている。偽証とニセ証人の方がここでは正貨で、真実や正直さは価値を失う。こうして英国式司法制度は、公衆道徳を、高めるどころか果てしなく堕落させる、まさにその道具となってきたのだ。だから、この制度に別れを告げるのは、われわれや民族にとって早ければ早いほど善い。モーリス・ハレット卿のような極めて反動的な総督でさえ、さいきんはこう述べている。
「しばしば思うのだが、インド総督府の政策が誤った方向に舵を切ったのは、統治の中央集権化を押し付けた時ではなかったか。そのため村は、古い制度のもとでは多かれ少なかれ自らの組織に負っていた責任を見失い、それにともないインドは病んできたように思う。総督府は、その紋切り型の発想から統制の効いた制度を願うあまり、西洋式の行政裁判所のような制度を作り上げたのだが、そのとき忘れていたのは、じつはこうした仕事の多くは、村じしんが内部で処理するほうがより良く、かつ適切に行われうる、ということだった。私は、あらゆる村あるいは小さな村むらの連合では、パンチャーヤットが権力を振るい、小さな争いは、刑事であれ民事であれ収益にまつわることであれ、すべて解決するようであってほしい。」

土居健郎「漱石の心的世界」(弘文堂) 雑感

本書が異文化・外国語との格闘を経た著者(それは漱石のイギリス体験とも重なる)ならではの優れた漱石論であることは言を俟たないが、冒頭の「坊っちゃん」に関しては一点読み誤りがある。

それは、清が坊っちゃんが大きくなってから彼の家に奉公を始めたと措定していることで、ていねいに本文の時系列を追うと、坊っちゃんの母親が亡くなった直後、勘当されかかったところで「十年来奉公している」ことになっていて、その5、6年後に父親が死去し、坊っちゃんも中学を卒業しているから、遅くとも坊っちゃんが物心付いた頃にはすでに家にいたことになる。寝小便の思い出話をして坊っちゃんを困らせるあたりもそれを裏付けていよう。

そう考えると、清がほとんど坊っちゃんの育ての親的存在で「まるで自分を製造したように」誇っても不思議はないわけで、また坊っちゃんの心的パターンもお見通しであろう。

いや、むしろ著者が指摘するように清と共依存で一体になっているからこそ、坊っちゃんもそれ以外の親密な人間関係を求めず、また安心?して破壊的な人間関係を家族・同僚・生徒との間に繰り広げることができた、とも言えそうだ。その意味でも、小説「坊っちゃん」の影の主人公は清なのだと思う。

ちなみに、坊っちゃんは江戸っ子(漱石が自身を投影しているとすれば維新で没落した名主の家系)で戸主相続権を持たない次男、清は「瓦解」(=いわゆる明治維新)で没落した武家の娘、山嵐会津人と、坊っちゃん側にはみごとに維新・明治体制の「負け組」が勢揃いしている。出版当時の読者であれば、そこに維新から引きずって来た鬱屈と爆発を読み取ることも容易であったろう。また清の坊っちゃんへの溺愛・同情も、明治民法下の家制度と無関係ではないと思う。

また、「坊っちゃん」が1906年、日露戦争講和の翌年、戦勝ムードの一方で日比谷焼打事件などで騒然としていた頃の作品であることにも気をつけたい。「それから」の代助の台詞、

「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許ばかりが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張はつちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ・・・」

を想起すると、坊っちゃんが依存し、金も平気で借りており、破壊的人格の育ての親、かつ大甘な実の保護者である清を明治日本のスポンサーであり日清・日露戦争に駆り立てた英国に準えることも可能ではないか。そう考えると「坊っちゃん」は漱石による明治日本、およびそれが作り上げた男性像のやや辛辣な自画像、という気がしてならない。

自己責任考

「海外取材は?」「自己責任です」
「海外旅行は?」「自己責任です」
「海外出張は?」「自己責任です」
「海外赴任は?」「自己責任です」
「国内の安全は?」「自己責任です」
「老後の備えは?」「自己責任です」
「子供の教育は?」「自己責任です」
「納税は?」「それは義務です」