マケルヘラン「指揮する技術」 第三版への追加と補説

第三版への追加と補説

p.6

リーダーシップをめぐるサラトガ音楽祭での物語4題

 ユージン・オーマンディは前夜、フィラデルフィア管弦楽団を指揮し、息を呑むような開幕コンサートを終えたところだった。コーラスが、ヴェルディ「レクイエム」のリハーサルのため舞台に待機していた。私はかの名人(マエストロ)にあいさつし、お祝いを述べた。彼は嬉しそうに礼を返したが、一瞬にしてその雰囲気(ムード)は豹変した。微笑みは消え、私を完全に無視するかのようにつぶやいた。「あれはもうどうでもいい。いまはヴェルディのレクイエムだ」。彼は胸を張って歩み出し、きらめくヴェルディのレクイエムを暗譜でリハーサルしたのだった。

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 著者の友人のひとりが、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮のリハーサルに顔を出したが、そこで強烈に感銘を受けたのはオーケストラが見せた熱狂ぶりであった。彼は通りがかったトランペット奏者に尋ねた。

「あの人の何が、皆さんをそんな風に仕向けるんです?」

「彼は本当に演奏(really play)させてくれるんだよ!それこそが、われわれがこの業界(ビジネス)に入った一等の理由なんだから。」

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 ある朝、著者は年配のヴィオラ奏者と歩いていた。その人は、口調で「ウィーン・フィル」だと明かしていた。

「昨晩は、易しい演目(プログラム)ではなかったですね」と私。

「易しいものなど何もないです」。その返答には、生涯を完璧さの追求に費やしてきた者の、辞世歌(funeral tones)のおもむきがあった。

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 サラ・コールドウェルは、フィラデルフィア管弦楽団との最初のリハーサルを終えたところだったが、気圧される思いをしたのではないだろうか。著者は奏者たちに聞いてみた。「彼女はどうだい?」

「偉大(グレート)だね」。奏者は熱をこめて語った。「彼女は、確かに自分の仕事(stuff)が分かってるよ。」

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p.7

 総譜(スコア)を鍵盤楽器で縮約(compress)する能力は核心的に重要で、早期に身につけるべきものだ。

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p.16

 左手の使用にこだわる人に対してどうしても生じる疑問に、右利きと同様の打拍(ビート)パターンを踏襲すべきか、あるいはパターンを反転させ、3拍子なら下、左、右へと拍つべきか、という問いがある。著者は、標準的パターンを保つ方を支持する。演者を混乱させるより、指揮者が修練し直す方がよいからだ。

 著者は、右肩の運動距離(マイレージ)が積算されるにつれ指揮がしだいに苦痛となり、左投げ(サウスポー)への転向を決意した。左利きの指揮の学生たちへの共感は、いや増すこととなった。人前で指揮する勇気をふるう以前に、本書の練習課題をすべてやり直すことが不可欠だと感じられた。左手で打拍(ビート)パターンを保ちつつ右手で楽譜をめくるのが殊に厄介だったが、暗譜での指揮が問題解決に役立った。

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p.47

 トロント交響楽団の首席チェロ奏者は、長きにわたりレオ・スミスという年配の紳士だった。ある時、他の奏者が彼に尋ねた。「レオ、あなたが絶対に入りをとちらないのはどういうわけなんです?」

「数えてるんだよ」。静かな答えが返った。

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p.58

 打拍(ビート)が硬直し(rigid)すぎるのを避け、流麗な(flowing)レガートを養うために効果的なやり方の一つ。右腕を、撥ね水準面(バウンスレベル)の高さで、床と平行に構えて立つ。左手で右手首をつかんで固定し、右手だけで指揮を、1、2インチ(2.54-5.08cm)長さの非常に小さい打拍(ビート)パターンで行なう。動作は滑らかに保つこと。1、2分したら左手を離し、手首の動きを保ちながら右前腕も多少動かせるようにせよ。

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p.60

 ストコフスキーがすでにこの世の人でないのはもちろんだが、この論点に変更はない。

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p.72

 著者が最近聞いた極めて風変わりな起始(スタート)は、マリーベス・マクドナルドが、三隻のカナダ沿岸警備隊の船および一台の自動車用クラクションのために作曲した作品のそれである。それはニューファンドランド島セント・ジョンズの狭隘な入り江で上演されたが、船の一隻からの爆音(ブラスト)で始まり、時間調整はストップウォッチでなされた。

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p.78

 本書の出版からほどなく、イングランドの紳士から手紙を頂いた。それは、テンポがいきなり変わって速くなり、前置き(preliminary)打拍(ビート)する余地もなく、そこに何ら単純な数学的連関もない、という厄介な状況までは私が押さえていない、という礼儀正しい指摘だった。私は、速い区間をその起点から徹底的にリハーサルし、続いて<テンポが遅い区間の都合よいところから始めて結節点(ジャンクション)の通過を練習するよう奨める。新しいテンポは、すぐにうまく収まるようになるはずだ。

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p.80

 一流交響楽団の常任指揮者となった最初の米国人のひとり、ソー・ジョンソンがかつて著者に語ったことだが、「古典派の(クラシカル)アレグレットは、作曲家の意図が2拍子のアレグレットと4拍子のアレグレットのどちらなのか、極めて慎重に判断しなければならない」。4拍子のアレグレットが理にかなっている場合の多さは、驚愕するほどだ。一例を挙げると、第二バイオリンのアルベルティ・バス(低-高-中-高の分散和音)がごちゃごちゃしなくなり、最高音部(トップ・パート)がより旋律らしく(メロディック)なることが多い。このことは、他のテンポでも当てはまる。ハイドンのオラトリオ(劇的聖譚曲)の、¢で記されているある楽章は、2拍子で指揮すると滑稽に聞こえるが、4拍子にすると滑らかに乗りこなせる。とりわけ厄介なのは、通常8分の6拍子のアンダンテやシシリアーノに用いるテンポで、付点四分音符では遅すぎ、八分音符では速すぎると感じられる。スタンリー・チャップルによれば、クーセヴィツキーは、本当は四分音符と八分音符を交互に打つのが好ましいんだが、と語っていたがそれをしなかった。「なぜって、常識がないと思われるのを怖がっていたからね!」

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p.89

 著者は最近、フェルマータはきっちり1・拍・半(one-and-a-half)延ばすべき、との説を頂戴した。しかし、通常のテンポからの、つかの間の自由はあってしかるべきだ。例えば、ベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭(スタート)にこの規則を適用した日には、殺気立って聞こえることだろう!

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p.92

 パトリック・チュン医学博士からの、以下のご教示に感謝申し上げます。「耳鼻咽喉科医が推奨する、耳垢を取り除く効果的な方法の一つは、耳垢を市販の耳垢軟化剤で軟らかくしてから、球根(bulb)型のゴムスポイト(syringe)で洗浄することです。綿棒やヘアピンを耳垢取りに用いては絶対になりません。」

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p.93

 3a. ちょっとした神経の鍛錬(ドリル)が役立とう。旧友をつかまえ、神経鍛錬(ドリル)を1、2発(セッション)やってもらうとよい。自分が心を込めて演奏したり歌ったりしている間、旧友がその気を散らす、ありとあらゆる手を使うのだ。くしゃみ、ため息、立ち歩き、何より咳など。

 3b. 総譜(スコア)なしでの指揮を予定している指揮者は、音声を消したテレビでフットボール試合を観戦しながら指揮動作をやり通すとよい。これは、視覚的または聴覚的な妨害、例えば弱音器(ミュート)の取り落としや、頭上を飛び交うコウモリに慣れる上で有効だ。いちど神経鍛錬(ドリル)を通せば、コンサートは心安らぐものとなろう。

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p.110

 協奏曲(コンチェルト)の、カデンツァなどソリストによる長々とした無伴奏の楽節(パッセージ)では、通常指揮しない。ただ関心ありげに立っているか、軽く小節線を示すだけでよい。ただし警戒(アラート)を怠るなかれ。

 ソリストに気をつけよ。人間だもの、かれらも予想外の驚愕を喰らわすことがある。ある時、私はシューベルトのト長調ミサ曲(Mass in G)を指揮したが、その美しいソプラノのソリストは愛らしい声の持ち主で、また最高に実力ある音楽家だった。ただ一度を除けば。ミサ曲の始まりは静謐な四部合唱で書かれている。やがて、オーケストラが短い楽節(パッセージ)を受けもち、ソプラノ独唱(ソロ)へとつながる。順調だった。私が、その移行楽節(パッセージ)を指揮しながら最高の合図(キュー)を出す用意をしたところで戦慄(ぞっと)したのは、見れば件のソプラノ歌手はまだ座ったまま聴衆を凝視し、おそらくは客席の入りを数えているではないか。オーケストラの演奏は続く。必死で腕を振り回したが何の甲斐もない。やっとテノール歌手が、件のソプラノを小突き「彼はきみに歌って欲しそうだぞ」とささやいた。かのソプラノは、おっ魂消(たまげ)て立ち上がるや、短い独唱(ソロ)をみごとに歌いあげたのだが、そのできばえに一つ、ささいな瑕疵があった。彼女は独唱(ソロ)を冒頭から歌い出したが、そのころオーケストラは、すでに何小節も先にいたのだった。続く合唱の入り(エントランス)では、合唱隊の半分が件のソプラノを待ち受け、いっぽう、残る (拍を数えていた) 半分がオーケストラと先行していた。それはシューベルト派二重調性(バイトーナリティ)の愉快な実例であった。演奏が進むにつれ事態はしかるべきところへ収拾し、楽章の終わりには再びシューベルトらしきものとなった。

マケルヘラン「指揮する技術」第27章 指揮を教えることについて

第27章

指揮を教えることについて

作曲家、また教師としての偉大なる先達、ヒーリー・ウィランがつねづね語っていた逸話(ストーリー)で、教育学的に極めて重要なものがあった。いわく、すでに廃刊の「エチュード」誌が受け取った編集者宛ての手紙:「どうやったら歌を書くのを学べるか教えてください」。その返事:「歌を書きなさい」。

 この助言は、指揮にも指揮者の訓練にも等しく当てはまる。どちらも時間がかかる。教師と学生は、各々の強みと弱みとを分析し、前者を伸ばし、後者を克服する手立てを考え出さねばならない。しかし、歌を書くことと指揮との間には大きな違いがある。作詞作曲家(ソングライター)に必要なものといえば、用紙と一本の鉛筆、それに一対の声帯ですべてだ。しかし、指揮を学ぶものには、コンサートホールなりオペラハウスなり教会堂で、演者がきちんと揃っているところが必要である。

 必要とされるのは、模擬操縦席(フライトシミュレーター)に比せられるもの、すなわち学生が最大限の練習時間を稼げる、何らかの手立てである。

 教育機関によっては、指揮の学生用に合奏団(アンサンブル)を置いているところもある。しかし、実際に指揮する機会はあまりにも短時間で間が空いており、満足のいく技術を磨くのは非常に難しい。テニス選手も、打つの(プレイ)が月に10分間だけでは、大した腕前(スキル)には至らないだろう。

 一案として、大人数の学級(クラス)を扱う場合、学生をいくつかの小グループに分け、廊下や倉庫やエレベーターに寓居させることがある。フィラデルフィア管弦楽団を指揮するほど満足の行くものではないことは明らかだが、初期段階で非常に必要とされる、指揮する量を3倍にも4倍にも増やせる。

 ほとんどの指揮学級(クラス)では、授業用として適切な、オーケストラなりコーラスなり楽隊(バンド)を編成するのにじゅうぶんな、歌手や器楽奏者をかき集められよう。簡易版の編曲は、演者が副(セカンダリー)楽器を用いる場合に有用である。

 著者が好む部分的解決策の一つは「相棒方式(バディ・システム)」だ。学生がペアを組み、互いにコーチし合うことである (相方(パートナー)がいない者は指導者と組むか三人組になる)。交替で、録音に合わせて指揮し、本書で示したような練習課題に取り組む。学生には、コーチしたりされたりすることは非常に有益だ。自分の相方(パートナー)の欠点について見解(コメント)を求められると、答えるかれらは通常、極めて情熱的かつ上機嫌になる。相方(パートナー)の録画は、かれらお気に入りの喜劇(コメディ)だ。

 個人レッスンには、グループ授業にまさる明らかな長所がある − 指導者はその生徒に専念できる − いっぽう、楽団の前に立つ機会は失われ、双方向でコーチし合う経験もそうだ。学生は音なしで指揮してもよいが、録音やピアノに合わせてもよい。また教師は、間違い音の教練(ドリル)を、鍵盤楽器を用いて行なってもよい。

 これらのささやかな提案を軽んじることなかれ。忘れないでほしい、人ひとりすら満足に指揮できない者に、舞台の合奏団(アンサンブル)を前に、指揮台に立つ権利などないことを。

 言い古されたことだが、指揮における最大の困難は、指揮する音楽家を見つけることだ。狩りに出よ(スタート・ハンティング)。幸運を祈る(グッド・ラック)!

マケルヘラン「指揮する技術」第26章 音楽的でない雑務

第26章

音楽的でない雑務

経営者としての指揮者に関しては、長く退屈な一章、あるいはまるまる一冊を当てられよう。彼女 (あるいは彼) に、ただ音楽を演奏するだけでいることは不可能だ。世界的芸術家といえど、宣伝、組合、委員会、助成金、資金提供者その他、時間を喰うあまたのことどもに頭を悩ませねばならない。指揮者はその階層構造(トーテムポール)のはるか下層で、ホールは予約済みか、楽譜は注文済みか、ポスターは郵送済みか、ソリストには会ってご馳走済みか、病気のトロンボーン奏者はすげ替え済みかの確認等々、だれかが面倒を見るべきだが忘れられがちな、無数の瑣事を引き受けねばならない。

 あらゆる指揮者が心と壁とに刻むべき座右の銘(モットー)とは:

先んじて憂え(WORRY EARLY)

それから

指揮することの1%が指揮なのだ(ONE PERCENT OF CONDUCTING IS CONDUCTING)

マケルヘラン「指揮する技術」第25章 コンサート

第25章

コンサート

ウォームアップ

どの楽器奏者も、自分の楽器、指、リード、アンブシュアをウォームアップするのは己れの責任だと見なしている。しかし素人(アマチュア)の合唱団員は、指揮者か合唱団長が全体ウォームアップを指図しないかぎり、コンサート前に歌う機会が与えられることはめったにない。これは単純な母音歌曲(ヴォーカリーゼ)と通しの歌唱、それらと組み合わせた音色(トーン)の改善への提案からなる。しかし脳髄を無視してはならない!速い、あるいは難しい楽節(パッセージ)も歌わせ、高い水準まで磨きをかけておく必要がある。これは、合唱団員の思考や全体的な気合い(メンタル・トーン)をも加速し、p.108で述べた通り、ウォームアップでは扱わない他の多くの技術的・芸術的課題にも効果を及ぼす。

 個々人のウォームアップに加え、可能であればオーケストラや楽隊(バンド)は、コンサート前に1時間くらいの短いリハーサルを、とりわけ不慣れな会場での演奏や、当日まだリハーサルしていない場合にはすべきだ。合唱の場合、これは注意力、反応時間、全般的芸術性を改善する上で驚異的に効く。

 コンサート前のウォームアップは、アガっている人びとを落ち着かせ、倦んでいるか無気力な人を目覚めさせる機会にもなる。

暗譜での指揮

 指揮者は、優れた演奏を披露するには曲のあらゆる面に徹底的に通じていなければならない。しかし、総譜(スコア)と譜面台なしでやるかどうかは別の問題である。

 暗譜で指揮する能力はゆっくりと養わねばならない。込みいった作品に手を出すのは、単純な作品を覚えられることが判ってからにせよ。賛美歌(キャロル)の方がベートーヴェンの交響曲よりは容易で、同じくヘンデルのオラトリオ(劇的聖譚曲)の方が現代の作品よりたやすい。レチタティーヴォ(叙唱)はとりわけ難物である。

 暗譜することを視野に入れながら総譜(スコア)を研究する場合は、あらゆる細部を分析し、特に、しばらくは同じようで、あとの展開が異なる各部には重点を置くべきである。再現部(リキャプチュレーション)は死の罠(デス・トラップ)に満ち満ちている。

 家で暗譜での指揮を練習する時は、自分への視覚的邪魔ものを設けよ。音楽家は、独りっきりで暗譜したあと、コンサートで何か、例えばトランペット奏者がお決まり通り弱音器(ミュート)を落とすなどの異変が起こり、泡を喰ってしまうことがあまりにも多い。音を消したテレビで、フットボール試合を観ながら暗譜で指揮できるか試してみよ。神経には無茶(hard)で、最高の芸術性に達する指揮もまず無理(hardly)だが、これでコンサートでの指揮は比較的楽になろう。

 総譜(スコア)なしでもリハーサルをじゅうぶんうまく指揮できるのでなければ、暗譜での指揮を人前でやってはならない。じっさい、リハーサルはコンサートよりも難しい。なぜなら指揮者は、どれくらい時間が残っているか、中断すべきか続けるべきか、演奏を改善するにはどうしたらよいか、といった問題に、つねに気を配っていなければならないからだ。コンサートでは演奏のみに集中すればよく、またそうすべきである。目前の音楽のこと以外、何も考えないようにせよ。ソリストへの賞賛の示し方など考え始めていたら、思わぬ衝撃を喰らうかもしれない。集中せよ!

 当該楽曲に関する知識が万全で、総譜(スコア)を更衣室へ置きざりにする自信があれば、暗譜での指揮には多大な長所がある。作品全体、またどのページもがいっぺんに目に浮かぶ。細部にかかずらっている時でも、そこと全体との関係が見通せ、したがって演奏の足並みを按配できる。バッハのロ短調(Bマイナー)ミサ曲でいえば、個々の曲(ムーヴメント)がグループを組んで属する各主部(パート)を構成して、例えば「聖霊とともに(クム・サンクト・スピリテュ) [第2部「栄光(グロリア)」最終曲]」が、それが締めくくる [第2部]「栄光(グロリア)」の冒頭と、たんに総譜(スコア)で見るよりも密接な関連をもって感じられる。これは不思議で名状しがたいことだが、経験したものには紛れもない事実なのである。

 現代の作品には危険が伴うが、指揮者がコープランド、ストラヴィンスキー、ブリテンらの総譜(スコア)とじゅうぶん時間をかけて格闘し、確実に記憶するまでには、指揮棒振りの問題も確実に克服していることだろう。そうした作品では、多くの楽節(パッセージ)が非常に速いため、ほとんどは手の動きも自動的に起こるまでに覚え込まなければならない。

 暗譜で指揮するもう一つの利点は、指揮者と演者との間に、総譜(スコア)を間に置いてはめったに存在しないつながり(ラポール)が育まれることである。ほとんど催眠術のような効果が蓄積され、ブラームスのレクイエム、ヘンデル「エジプトのイスラエル」、バッハのロ短調ミサ曲、ウォルトン「ベルシャザールの饗宴」などの長大な作品で圧倒的な力を発揮する。この張り詰めた瞬間こそ、指揮者に与えられる至高の芸術なのである。

音楽の再創造

 指揮者は、コンサートを始めるたびに、音による傑作を再創造しようとしているのだと自覚しなければならない。リハーサルにどんなに骨を折ってでも、演者に、あらゆる瞬間を偉大なものにしたいという願望を植え付けなければならない。確かに、力を抜いて一息つける楽節(パッセージ)は必ずあるが、これらもほどよく偉大でなければならない。指揮者は、全力を尽くして自分自身と演者から最高の芸術性を引き出さねばならないが、技術的側面もすべて明確に意識していなくてはならない。言い古されたことだが、心は炎の上に、しかし脳髄は氷の上に。

 いくら興奮しても、演奏できないほど速いテンポは出すな。どんなに表現たっぷりでも、管楽器奏者の息が続かないほどにはなるな。チェロからはカンタービレな主題(テーマ)を引き出せ、しかしホルンが、シンコペーションした伴奏ができなくなるほど没頭するな。顔をしかめて歌手の顎をこわばらせるな。弦楽器を煽って熱狂させよ。しかし下拍(ダウンビート)は明確に保ち、シンバル奏者が休符を数えられるようにせよ。

コンサートの指揮

 リハーサルを何度重ねようと、コンサートは別ものとなる運命だ。指揮者は、不測の事態に対して、つねに警戒を怠らず、また即座に反応しなければならない (毎晩同じ曲目(プログラム)のツアー中でも、コンサートごとの違いはじつに多様である)。

 興奮によって改善する楽曲もあれば、無気力さで台なしになる曲もある。バランスはひんぱんに交替する。たえず傾聴し、必要に応じて調節せよ。聴衆が入ると、ホールの音響は違ってくる。空っぽのホールでは、ホルンは音が炸裂し(reverberated)すぎるため抑制することになるが、満席になると音がくぐもり(muffled)すぎるかもしれない。違いを聴き分け、もう少し鳴らさせよ。楽節(パッセージ)によっては、演奏が以前よりすばらしかったり自信なげだったりするかもしれない。初め、じゅうぶんなクレッシェンド-ディミヌエンドで弦楽器に演奏させるのがひと苦労で、打拍動作(ビート)を大きめにせざるを得なかった場合、コンサートでは奏者が過剰反応して効果を付けすぎるかもしれない。そうなったら身振りの調子を抑えよ。

 他の予期せぬ問題が持ち上がることもあり、それらは芸術性に関わるものだったり技術的なものだったりで、熟練度によらない。フルートが入りそこねたら、次の合図(キュー)ではっきり分かるようにせよ。ファゴット(バスーン)の入りが早すぎたら、手を振って追い払い、正しいところで入れるよう助けよ。合唱がアレグロのところでやや生気に欠けるきらいがあれば、2、3日前の興奮を多少なりとも取り戻そうと試みよ、テンポを心もち速め、同時に腕、表情、意志の力で、かれらをより高みへと向かうよう鼓舞して。

 ヴィオラが、いつもはきっちりした(strict)時律(タイム)で演奏していた音型(フィギュア)でハシったら、混沌(カオス)に陥る前にいつもの指揮とはうって変わり、重々しい動作で減速させよ。コントラバスがモタっていたら、顔をしかめ、小さめにキビキビと打拍(ビート)せよ。合唱団の音高(ピッチ)がぶら下がるか上ずるなら、左手で持ち上げるか引き下げるよう試みよ。

 リハーサル中、ある楽章のテンポが直前の楽章と非常に近く単調だと突然気づいたら、目 (と耳) のウロコを落とし、予期せざる新たな美に震えながら、ゆったりと表現たっぷりにさらってみよ。

 一週間ずっと氷柱の冷静沈着を保っていたソプラノのソリストが恐怖に震えていたら、微笑みと自信にあふれた合図(キュー)を捧げよ。テノール部の歌う旋律(メロディー)があまりにもぎこちなければ、左腕の滑らかで流麗な動作でかれらを指揮する一方、チェロには右腕で角の立ったアクセントを出し続けよ。首席トロンボーンが吹きとちっても、ニヤリと歯を見せれば気が落ち着き、残りのコンサートは上首尾にこなすかもしれない。スネアドラム奏者が最終リハーサルのあと間違いやすいパートを練習し、その前はおよそ聞こえなかったのが、今や耳をつんざく熱狂的演奏になっていたら、限度を超えない(天井が落ちてこない)うちにその視線をとらえ、「シーッ」の合図(サイン)を送れ。

 これらの情景は、演奏中、指揮者の頭をよぎる想念の多様さを示すものである。こうした状況下で考える速さを、他の職業との比較において知るのは興味深い。聴き、素早く考え、手、腕、表情で伝達する能力は優れた指揮者のしるしであり、演者を鍛えられる優れた音楽家とは対照をなす。指揮者は、芸術性、知識、繊細さを、考えて行動する速さと融合させ、指揮するたびに音楽を再創造する。

 素早く考える能力はおそらく生得のものだが、練習によって向上することは疑いない。本書で述べたような指揮技術をほとんど本能の域に達する高さまで身につけ、指揮者の音楽的能力と総譜(スコア)への知識の水準も高ければ、注意の多くの割合を音楽の再創造と緊急事態への対応に割けることは明らかだ。しかし、リハーサルの対極であるコンサートを指揮するやり方を学ぶ、唯一の現実的な道は、コンサートを指揮することなのだ!

課題

初心者とプロへ
 1. これから数か月、ときどき本書を読み返し、ここで推奨した実践事項から自分が外れてないか振り返ってみよ。外れていたら、そこを再考せよ。自分の直観が正しく、本書が間違っているのかもしれない。特定の状況では、規則から外れることが正当な場合もあろう。ぎゃくにそうでなければ、間違いを育てているかもしれないのだ!
 2. 指揮せよ!

マケルヘラン「指揮する技術」第24章 前衛

第24章

前衛(アヴァンギャルド)

より適切な名称を欠くために「前衛(アヴァンギャルド)」と呼ばれる新しい音楽の波は、作曲家や演者の想像力から多くの障壁(バリア)を一掃した。いまだかつてコンサートホールで聞かれたことのないリズム、音高(ピッチ)の組み合わせ、音色(トーンカラー)が、今やわれわれの音楽の一部となっている。新しい哲学が音楽家に霊感を吹き込んでいる。記譜法にみられる混沌(カオス)も、作曲家が、己れの着想(アイデア)を演者へ伝達する手段を見出そうと、死力を尽くしたゆえなのだ。

 初めて「前衛(アヴァンギャルド)」曲の総譜(スコア)と対面した指揮者は、過去とのつながりが皆無だと捉えがちである。熟知するにつれ分かることだが、新音楽(ニューミュージック)の仕掛けのほとんどは伝統に根ざしたものだ。新たに学ばねばならないことは多いが、標準的指揮技術は、各々の作品の必要に応じて修正することで、いぜん重要な役割を果たす。

 以下、合唱団やオーケストラへの作品3つを例に、指揮者への新旧の課題を示そう。シュトックハウゼン「瞬間(Momente)」は個人指導を受けないかぎり解読不可能である。しかし、標準的打拍(ビート)パターンを用い、ページの太線の始まりごとに下拍(ダウンビート)を出すことで指揮は可能だ。伝統音楽との違いは、打拍(ビート)の時間が極めて不規則で、その間隔が比率として総譜(スコア)に、秒単位で示されていることである。

 ルーカス・フォス「アルキロコス断片集(Fragments of Archilochos)」の記譜は、一部は標準的で、一部は作曲家独自のものである。連結した12部(セクション)からなり、休みなしに3回演奏する。譜面(マテリアル)は作品全体を通して演者全員に書かれているが、指揮者は、それに対して少人数の実演部隊(フォース)を各部(セクション)についてあらかじめ選んでおく。したがってこの曲には、何百もの異なるバージョンがありうる。音楽家は、自分が担当する楽譜は示されるものの、他のところがどう演奏されるか、どの公演でも知る術はない。初演のリハーサルで判明したのは、「休み(タセット)」中の歌手や楽器奏者には、いつ新しい部(セクション)が始まるのかを知るのが極めて困難、ということであった。その作曲家兼指揮者は、新しい部(セクション)の始まりごとに左手で大きな下拍(ダウンビート)を出すことで問題を解決したのだった。そう、あたかも巨大なケーキを切るかのように。

 マウリシオ・カーゲル「双声(Diaphonie)」は全編スライド写真上に書かれている。プロジェクターを2台用いるが、それらは舞台上の反対方向、片やオーケストラ、片や合唱団を向いている ([米国ニューヨーク州]バッファローでの初演では、カーゲルが前者、著者が作曲家の教育指導(スーパーヴィジョン)のもとで後者を操作した)。記譜法は独自のものである。スライドが映されると、該当する演者は受け持つ時間に奏するか歌う。停止するのは、スクリーンが真っ白になるか、手に持ったボール紙でプロジェクターの光線を遮断して、楽団のさまざまなセクションを切断(カットオフ)するか、指揮者が指をレンズの前でぶらぶらさせ、光を散乱させてその密度を落とした場合である。1枚のスライドにつき1つのテンポが設定される。これはレンズの前で時律(タイム)を拍つことで行ない、それによってスクリーンにリズミカルな間隔で影が落ちる。適切な割合の速さで腕を動かすにはそうとう練習が必要で、さもなければ影は見えない。しかして、時律(タイム)の拍ち方の基本原則に従えば、各小節の1拍目には濃い影が現れる!

 同じ音楽祭で、ジョン・ケージは自作「ピアノと室内管弦楽のための協奏曲(Concert for Piano and Orchestra)」を指揮した。通常の動作に代えて、かれは腕を時計の針のように動かし、経過した時間を示したのだった。伝統音楽では分当たりの拍数を考えることが必要だが、「前衛(アヴァンギャルド)」音楽では時間経過を秒単位で感じることがしばしば重要になる。

 他の作品には、複数の指揮者が必要なものもある。シュトックハウゼン「3つのオーケストラのための『群(Gruppen)』」は3人の指揮者と3群のオーケストラのために書かれ、同「正方形(Carré)」には4群の合唱団とオーケストラが必要で、それぞれに指揮者が付いて四角い講堂(オーディトリアム)の四方に配置され、聴衆が中央に陣取る。

 指揮者が「前衛(アヴァンギャルド)」作品の準備を始める際には、必ず伝統的な技法を徹底的に試みてから、それを放棄なり修正なりすべきである。しかるのちに、必要ならば、旧音楽で期待される演奏水準に新音楽(ニューミュージック)において到達するための、独創的かつ大胆な実験をやってみるべきだ。

課題

初心者とプロへ
 1. 「前衛(アヴァンギャルド)」音楽作品の経験がほとんどないのであれば、まずその代表例を聴くなり演奏する機会を設けよ。最初は衝撃を受けるか面白がるだろうが、それはほとんどの人びとが、オルガヌム (多声合唱) からヴェーベルンに至る、音楽のあらゆる革新(イノヴェーション)に対してやってきたことだ。やがて、さまざまな作品を分析して、楽しんだり拒絶したりできるようになるだろう。伝統的型式のものと同じように。

マケルヘラン「指揮する技術」第23章 打拍単位の変更

第23章

打拍単位(ビート・ユニット)の変更

ここまで、リズムに関するあらゆる困難には、シンコペーションの場合にように打拍(ビート)パターンを保持するか、あるいは拍子記号が4分の4拍子から4分の3拍子へ変わる場合のように打拍(ビート)パターンを変更することで対処してきた。世界の音楽のほとんどは、これで片がつく。

 しかし、1913年のストラヴィンスキー「春の祭典(Le Sacre du printemps)」いらい、例えば4分の4拍子から8分の3拍子へ移るなど、打拍単位(ビート・ユニット)ぜんたいを変更しなければならない多くの楽曲が書かれてきた。

 下図の例について考えてみよう。

アレグロ・ヴィヴァーチェ


テンポが速いため、4分の4小節では四分音符を打拍(ビート)するしかない。八分音符を打拍(ビート)すると、困惑と狼狽を引き起こすことになろう。いっぽう、8分の3小節で四分音符は打拍(ビート)できない。打拍(ビート)が等分でなくなり、次の小節の頭に半拍残るからである (八分音符3個が四分音符1個分のスペースを占める、ただの三連符と混同しないように。この八分音符は4分の4小節のそれと同じ長さで、3個ひと組になっている)。

 ある思想学派は、打拍(ビート)を付点四分音符と同じ長さに延長し、したがって1打拍(ビート)で8分の3小節を示すよう勧めている。

 お奨めしたい方法は、タングルウッド [音楽祭] で、スタンリー・チャップルの下で教わったものである。かれはこの問題についてクーセヴィツキー、バーンスタイン、(自作曲にそうしたリズムが山盛りの) コープランド、そしてボストン交響楽団の団員たちと、たいへん長時間にわたって議論した。そこで合意されたのは、8分の3拍子は3拍打つ(ビート)方が明確、ということだ。この速い3拍子の方が、ゆるやかで流麗な1拍子の動きより、ついて行くのがたやすい。筆者は、ストラヴィンスキーが自作曲を指揮する際に同じ技法を用いたのを観察している。このルールは、次のように言い表せよう。打拍単位(ビート・ユニット)を変更しなければならない場合は、速い方の打拍(ビート)を用いよ。
 (これには重要な留保を付すべきである。速い打拍(ビート)は小さく保つこと。高速の場合、ほとんど手首の翻し(フリック)以上であってはならない。大きくぎこちない動作はテンポを落とす。)

 一連の速い8分の3小節を1小節1拍子で指揮したあとに4分の2拍子など四分音符2個が来る場合、4分の2拍子の小節は、2分音符1個に当たるゆったりした1拍ではなく、1小節2拍子に変更して四分音符を打拍(ビート)せよ。より速い打拍(ビート)を用いるルールは依然として当てはまり、この場合は付点四分音符からの移行になる。例えば:


打拍(ビート)

 四分音符から八分音符など、より速い単位へ移り、それを何小節か維持しなければならない場合、速い3拍子の連続は小うるさく、付点四分音符で打拍(ビート)する方が好ましかろう。例えば:


打拍(ビート)

 これらの場合はすべて、文脈(コンテクスト)、テンポ、楽曲の性格(キャラクター)、楽団に大きく依存する。指揮者は上述の規則(ルール)に従いながらも、もう一つの (すなわちより長い音符へ移る) 方法のほうがうまく行きはしはないか、楽節(パッセージ)に目を光らせておく必要がある。

 次のような楽節(パッセージ)でも同じ原理(プリンシプル)に従うべきである:


打拍(ビート)

 これは、八分音符をぶっ通しで打拍(ビート)するには速すぎる。じっさい8分の5拍子は、最後に八分音符を1個追加した4分の2拍子、あるいは最後の八分音符1個を抜いた4分の3拍子に感じられよう。四分音符1個と付点四分音符1個を打拍(ビート)するのではなく、ルールに従い、より速い打拍(ビート)を用いよ。すなわち3拍子のパターンを用い、下拍(ダウンビート)に八分音符2個、2拍目に次の2個、そして速い第3の打拍(ビート)で最後の八分音符を収めるが、その打拍(ビート)は小さく保つ。そうすると、手はおおよそ標準の3拍子パターンを踏襲しながら3拍目が小さくなり、3拍目から次の小節の1拍目までの経過時間が、四分音符1個ではなく八分音符1個に等しくなろう。
              ←すばやく

 7拍子は、同様に八分音符を最後に1個追加した4分の3拍子、あるいは八分音符が1個抜けた4分の4拍子と考えられる。4拍子パターンを用い、四分音符を3つ打拍(ビート)し、最後の拍(ビート)は2倍速で次の下拍(ダウンビート)へと移動せよ。
                       ←すばやく

 
 同様のことは、次でも遵守されるべきである。


打拍(ビート)

 1・3小節目については上で論じた通りである。2小節目は2拍目を延長した4分の2拍子か、2拍目を短縮した4分の3拍子かのどちらかである。後者として考えるのが指揮向けだ。

 4小節目は1拍目を延長した4分の3拍子か、2拍目を短縮した4分の4拍子になる。後者にせよ。

 したがって、この楽節(パッセージ)ぜんたいは以下のようになる。

 1小節目:前述の最終拍が短い4分の3拍子:

 2小節目:2拍目が短い4分の3拍子:


                           ↑すばやく

 3小節目:前述の最終拍が短い4分の4拍子:

 4小節目:2拍目が短い4分の4拍子:

                            ↓すばやく

 ほかの、不均等に分割された複雑な拍子記号も、同じように扱える。例えば、

打拍(ビート)

以下のようになる:
                                  ↓すばやく

注意:

は、最終拍を短縮した4分の5拍子となる。

 こうしたリズムに、初対面で困惑する人は多い。これらはジャズっぽく聞こえるが、まったく別ものである (伝統的ジャズでは、拍単位(ユニット)はずっと同じで、それをめぐるシンコペーションが変化する)。ゆっくりとさらい、p.57 で述べた「スローモーション」で指揮しながら、出現する最も短い音符で数えよ。上の例でいえば、たとえ自分の手がそう打拍(ビート)していようと、けっして四分音符と八分音符が混ざっていると考えるのではなく、つねに八分音符として考えよ。

 著者には、学生たちがこうした類のリズムをうまくやってのけるのを観察する無数の機会があったが、そこで気づいたのは、打拍(ビート)がちょっとでも「ズレ」ると演奏が困難になることであった。反省会でそうした学生が必ずと言っていいほど認めたのは、八分音符を数えるのを止めたまさにその瞬間、打拍(ビート)が不正確になることであった。

課題

初心者へ
 1. 上記や類似の課題をやってみよ。ゆっくり、p.32で述べたように手を叩き(タップ)八分音符で数えよ。

 2. アーロン・コープランド「ひばり(Lark)」(混成四部合唱(SATB)、E.C. Schirmer刊) を指揮せよ。ここでの問題に関する安価な入門編となろう。
 (注記:「ひばり(Lark)」p.12冒頭の下拍(ダウンビート)は非常に多様であるため、指揮者は、まったく指揮しないのがいちばん役に立つ。p.13には点線を書き込み、拍子記号を追加してから、本章で述べた技法を適用せよ。)

プロへ
 1. 指揮せよ。

 2. 本章で述べた問題について不安がなければ、ブリテン「子羊によりて歓べ(Rejoice in the Lamb)」(混成四部合唱(SATB)とオルガン、Boosey and Hawkes刊)に挑戦せよ。これは非常に難しい。
 (注記:冒頭部の8分の6拍子の小節は2拍子で、8分の9拍子は通常短縮した4分の5拍子、8分の11拍子は短縮した2分の3拍子で取るのが最善である。)

 注記:著者は、本章で示したような例題ではモデラートのテンポを念頭に置いている。一般には四分音符で130くらい。テンポがそうとう速ければ、替わりの方法を用いるべきである。八分音符を示すのが不可能であれば、四分音符や付点四分音符を打拍(ビート)せよ。この方法は、モデラートのテンポでも、リズムが長時間くり返される場合には好ましいだろう。p.115の最初の例題は2拍目の時間を延長した2拍子のパターンで、次の例題は3拍目を延長した3拍子、p.117の最初のものは1拍目を引き伸ばした3拍子で指揮することになろう。

 お気の毒さま、だれも肩など脱臼していませんように。

マケルヘラン「指揮する技術」第22章 ソロとレチタティーヴォ

第22章

ソロ(独奏・独唱)とレチタティーヴォ(叙唱)

ソロ

ソリスト(独奏・独唱者)と指揮者との関係は、最良で魂の全的合一、最悪で冷戦である。最初のリハーサルより前に一緒に楽曲に取りかかり、解釈について合意しておかなければならない。また、疑問を挟みうるあらゆる点についても、だれが主導(リード)してだれが従う(フォロー)のか、明確に決めておかなければならない。

 音楽家どうしの地位が対等であれば、ソリストの意思を立てるのが習慣である。可能なかぎりソリストは己れの欲するところに従って演じ、オーケストラやコーラスはそれに従い、ピアニストがするように伴奏する。しかし、ある種の楽節(パッセージ)では指揮者が主導(リード)しなければならない。例えば、最初の和音(コード)を、ソリストもともに総奏(トゥッティ)する場合だ。奏者からは、いっしょに入るにもソリストが見えにくい。こうした場面では、ソリストはあたかもオーケストラの一員のように指揮者に従う。同じように、フェルマータの切断(カットオフ)や突然のテンポ変更は、一時的に指揮者が主導権を握ると最もうまく操縦(ハンドル)できる。ソリストには、あとでそれを戻せばよい。

 ソリストは、指揮者より非常に若い場合、例えば合唱団員が短い楽節(パッセージ)を独唱する時には、指揮者に従う方を好むだろう。数人のソリストがコーラスやオーケストラといっしょに難しい合唱曲(アンサンブル)を歌う場合は、めいめいが自らを別々の楽器と見なし、完全に指揮者に従属するのが望ましい。これは、スタイルを均質化し、バランスと精密さを向上させる一方、歌手の自我(エゴ)をガス抜きする(deflate)場合もある。ベートーヴェン「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」では、その両方が有益な結果を生む。

 交響楽曲の中に重要なソロが入る場合、指揮者は主席奏者に、あたかも協奏曲(コンチェルト)のように主導(リード)してもらうとよい。(例えばチャイコフスキーの交響曲第5番のゆるやかな楽章の冒頭におけるホルンの旋律(メロディー)。)これは通常奏者を喜ばせ、より優れた、よりソロ的質の演奏につながる。
☆ (巻末「第三版への追加と補説」を参照)

技術

 ソリストに従って行くために最良の方法は、ギリギリまで待たないで先取り(anticipate)することだ。いっしょにソロを、心の中で歌うか演奏せよ。技術に関しては、以下を忘れないように。

 1. ソリストが予想より早く先へ進んだ場合は、打拍(ビート)を徐々に速めて追いつけ。いきなり電光石火の速さで動かないこと。それでは、だれもがソリストを見失うことになろう。

 2. ソリストが、例えば「表情豊かに(エスプレシーヴォ)」のくだりで減速した場合、振り上げに時間をかけ、振り下ろしにはかけないように。打拍(ビート)が底を打つ手前で「ブレーキを踏む」のではなく、腕を高く持ち上げて通常の速度で振り下ろせ。さもなければ、みな幻惑されて先走ってしまう。

レチタティーヴォ(叙唱)

 レチタティーヴォ(叙唱)における解釈は、本書の範囲外である。これの指揮は、たぶん他のどんな種類の音楽よりも難しい。ソリストと指揮者は、前もってできるかぎり準備しておくべきだが、公演ごとに変わりうる、あらゆるテンポ変更を正確に覚えておくことはできない。

技法

 拍はすべて出すが、伴奏音が2打ち(カウント)以上持続する場合は、あとの打拍(ビート)を小さくし、伴奏が新しい和音(コード)へ移るごとに、はっきりした先取りする動作(anticipatory motion)を前置きした大きい打拍(ビート)を用いよ。例えば、



 あらゆる楽曲と同様、はっきりした上拍(アップ)と下拍(ダウンビート)を出して始めよ。それから2、3、4拍目、そして次の小節の1拍目の打拍(ビート)をたいへん小さくせよ。ソリストと同期させる必要はない (指揮者によっては、これらをなるべく速やかに出しておいてソリストを待ちさえする)。ソリストが2小節目にかかったら厳戒態勢(ベリー・アラート)になれ。2拍目のあと高く跳ね上げてオーケストラに次の和音(コード)が来るぞと警告し、ソリストの「-tive」が始まったら3拍目をはっきりと大きく出せ。以下の図は上記を説明する助けとなろう。

1小節目 (上拍(アップビート)が先行)

2小節目

 ピアノだけの伴奏であれば、指揮者はおおかた益よりも害をなすため、身を引くべきである。歴史的により正しい方法である、一つ以上の低音楽器を鍵盤楽器とともに用いる場合は、ほとんどの人は指揮者がいた方が楽である。レチタティーヴォ(叙唱)の指揮をやれれば、の話だが!

オペラでのレチタティーヴォ(叙唱)

 オペラでは、歌手が伴奏なしで何小節かレチタティーヴォ(叙唱)を受け持つことがしばしばだ。テンポは非常に自由で、舞台での動きに大きく支配される。こうした場合、伝統的には各小節の1拍目だけを出す。指揮者によっては、すべての下拍(ダウンビート)を出しておき、当該楽節(パッセージ)が終わるのを待って腕を振り上げ、再開する人もいる。これは、自分の楽器を「手入れ」しておきたい奏者には、それにどれくらい時間をかけられるか予想がつかないため、かなり厄介である。指揮者は、下拍(ダウンビート)を起こるつど出すことで、奏者が、管のツバを抜き、リードを交換し、ペグの滑りを直す時間がどれくらい残されているか判断するのを助ける。

課題

初心者へ
 1. ちょくちょく録音に合わせて指揮せよ。他の利得に加え、これはソリストに従って行くよい訓練になる。
 2. できるかぎりソリストにピアノで伴奏し、己れの自在さと繊細さを養え。
 3. 可能なかぎり、協奏曲(コンチェルト)やアリア(詠唱)の録音や放送を視聴せよ。
 4. さしあたりレチタティーヴォ(叙唱)には手をつけるな。

プロへ
 1. ヘンデルのオラトリオ(劇的聖譚曲)やモーツァルトのオペラの録音の、視唱によるレチタティーヴォ(叙唱)の指揮を練習せよ。