君が代考ノート

1、問題提起

Q1 「わが君は」「千代にましませ」の異本(古今和歌集)→「君が代は 千代に八千代に」(和漢朗詠集〜近世)への淘汰・収束。理由?

Q2 なぜ庶民のあいだや地方(薩摩など)でも歌い継がれたのか。しかも皇室に直接関係ない宴会などの賀歌として。

Q3 ツマラナイ皇室讃歌が1000年のロングセラーになるか。数ある同じテーマの他の歌に比べ、なにが優れていたのか。

Q4 隆達節の巻頭歌になった理由は?吉原を描いた浮世絵にまで書かれた理由は?

*近世初期の歌謡。文禄・慶長(1592〜1615)ごろ、堺の高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が創始、扇拍子や一節切(ひとよぎり)などの伴奏で流行。近世小歌の祖という。隆達小歌。

Q5 大奥の「おさざれ石」儀式の象徴するものは?

*「おさざれ石」は御台所が将軍家に年賀の挨拶をする前に行われるお清めの儀式で正月三ヶ日の間行われた。

御台所は毎朝七つ時(午前4時)に起床して、お化粧・着替えを済ませた後、廊下の中央に置かれた石の3個入ったタライをはさんで御台所と大奥中老が向い合って着座。中老が「君が代は千代に八千代にさざれ石の」と上の句を唱え、御台所が直ちに「いわほとなりて苔のむすまで」とつなぐと中老が上から水を注いで御台所の手を清め、小姓が手拭を捧げることで儀式が終了する。


2、解釈

君が代

=きみがよは=君が夜は、君が夜半=あなたと過ごす夜は

=よ:代=世=夜、と掛けるのは古文常識。用例は百人一首(我が身よにふる)など、いくらでも


千代に八千代に

=千夜にや千夜に=幾夜も、ああ幾夜も

勅撰和歌集にも(それらしき)用例あり:

たれに又/ちよに一夜の/よかれして/さすかに我を/思ひ出らん(続古今集

かくしつゝ/とにも角にも/なからへて/君かやちよに/逢よしもかな(古今集

=上2つに比べると、「わが君は」「千代にましませ」は歌意が一枚岩で身もふたもなく、いわば遊びのないツマラナイ歌詞。


さされ石の

=次の「いはほ」との対句として、小さな男性器や子どもを含意(用例は川柳の「君が代の いわほとなりて さされ石」など)

=他の歌では「さざれしの」と読ませる例あり(ちくまの川のさざれしの、式子内親王)。これだと字余りにならない。こうも読まれていたのでは?

=さざれいしの→さざれしの→さ戯れしの=戯れる、いちゃつくという含意?

勅撰和歌集にもそれをうかがわせる用例あり:

君か世を/何にたとへん/さゝれ石の/いはほとならん/程もあかねは(清原元輔拾遺和歌集

君か代は/長居の浦の/さゝれ石の/岩ねの山と/成はつるまて(藤原顕綱朝臣新千載和歌集

君か代は/ちくまの河の/さゝれ石の/苔むす岩と/成つくすまて(式子内親王、新続古今集


いわほとなりて

=巌(いわほ)=原義は岩(いわ)+穂(ほ)=そそり立つ巨岩、がそもそも原義=ヒンドゥーにおけるリンガとの連想=オリジナルが作られた時点で、これも意識されていたのか?だとすると、エロス的含意は後世添加されたのではなく、この歌本来のものだといえないか。

=岩(男性器)+ほと(女性器)+成りて(結合して)

勅撰和歌集にも用例あり(「さされ石」と同じ)


こけのむすまで

=苔は生命力、旺盛な繁殖力を象徴

=むす=生す・産す

http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/14/1433.htm
「むす」の漢字「生」は,中国最古の文字学古典『説文解字セツモンカイジ』に拠りますと,草木が土上に生まれて,更に進むことを意味すると云います。今一つの漢字「産」は,草木の芽が伸びる意味,また人が生まれたとき行うある儀礼を示しますが,「産霊」と云う熟語は「むすび」と読み,万物を生産する神の霊力のことです。「結ぶ」も同系統の語で,男女が結ぶことによって新しい生命が生まれ,その子を「生ムす子コ」,「生ムす女メ」と云います。『君が代』の「苔むすまで」は,「コケが生えるまで」に留まるのではなく,更に,結んで生むことを重ねて,永久に発展し続けることを意味していると解釈したい。

=こ・け=子・子=子々孫々というイメージも伴うであろう。

=け=気(産気)であるかもしれない。

=むす=生す・産す=繁殖する

=むす=結ぶ=絡み合う

=「永遠に」に加え「子々孫々まで繁栄」をダイレクトに含意


3、まとめ

つまり、前近代の人びとは

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

君が夜は千夜にや千夜にさ戯れしの岩御陰成りて子気の産すまで

の二つを重ねて味わっていたのではないか。性に開放的であった前近代日本の文化から考えても、なんら怪しむに足りない。


5、はじめの問題への解答

A1 より豊かなイマジネーションをかき立てるから。「我が君は」「千代にましませ」は単線的でツマラナイから自然とうたわれなくなったのではないか。

A2 かんたんに言えば、庶民にとっても「いい歌」だったのだろう。「いい」の意味は

・意味するところはだれにも明解で、

・ちょっと嬉し恥ずかしの含みもあり、ついうたってみたくなる歌で、

・前近代日本の性は開放的であり、猥褻なものではなかった。ほんとうにおめでたい歌だと感じられたのではないか。

A3 上とも重なるが

・より豊かなイマジネーションをかき立てること

・多様な理解が可能で、いろんな場面、感情に対応

・他に比べて、同じシチュエーションで「うたってみたくなる歌」であったことはまちがいなかろう。

A4 江戸時代、遊郭通いや色恋ごとは、ときに命がけの真剣な「あそび」であったことにも留意する必要がある。遊郭の門を潜るときの決意表明と考えれば、王朝讃歌を掛けるのはあながち大げさとも言えまい。

A5 これは王位の安寧とともに子孫繁栄を願う儀式(大奥の儀式であることに注意)ではないだろうか。石3個は家族の象徴?


6、さらに

平安時代に「君が代は」を選んだ時点ですでに、性愛を掛けた賀歌という認識はあったのかどうか。それとも中世以降に添加されたのか。

・こうしたイメージなしに、庶民が強制もされず、1000年の長きにわたり自発的に、宴会などで好んで歌い継ぐ、ということがあり得るだろうか。

・「君が代」が歌として優れているのは他の凡百の賀歌に比べ、そうしたイメージに広がりや深みがあり、またオフィシャルな解釈に重なり合うことで、互いに強め合う面があったからではないか。その意味で、君が代はエロスの讃歌、生命力あふれる賀歌として優れているのであり、それに比べ単線的な近代的解釈は貧弱の感を免れない。だから、強制しないと歌われないし、陰鬱な戦争や軍隊の歌に聞こえてしまうのではないか。