アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第10章(1)

(p.97)
X
司法

 英国政府がインドに導入した司法制度は、この国の社会経済生活にもたらされた一大惨事であった。かつてパンチャーヤットは、民事・刑事の裁判を即断即決でやっていた。ニセの証人や偽証は、パンチャーヤットに対する最大の罪とされてきた。だから正義は安価かつ公正だったのだ。いっぽう現代の法廷は反対に、非常に高くつく。まったく平凡な訴訟でさえ、処理に数年とは言わなくとも数か月はかかる。司法の混み入った手続きは、不正直と虚偽を助長する。たくさんの弁護士が村に客引きの網を張りめぐらし、純朴そのものの村人に、毎年数千万ルピーを下劣で無用な訴訟のためにつぎ込ませ、搾り取っている。偽証とニセ証人の方がここでは正貨で、真実や正直さは価値を失う。こうして英国式司法制度は、公衆道徳を、高めるどころか果てしなく堕落させる、まさにその道具となってきたのだ。だから、この制度に別れを告げるのは、われわれや民族にとって早ければ早いほど善い。モーリス・ハレット卿のような極めて反動的な総督でさえ、さいきんはこう述べている。
「しばしば思うのだが、インド総督府の政策が誤った方向に舵を切ったのは、統治の中央集権化を押し付けた時ではなかったか。そのため村は、古い制度のもとでは多かれ少なかれ自らの組織に負っていた責任を見失い、それにともないインドは病んできたように思う。総督府は、その紋切り型の発想から統制の効いた制度を願うあまり、西洋式の行政裁判所のような制度を作り上げたのだが、そのとき忘れていたのは、じつはこうした仕事の多くは、村じしんが内部で処理するほうがより良く、かつ適切に行われうる、ということだった。私は、あらゆる村あるいは小さな村むらの連合では、パンチャーヤットが権力を振るい、小さな争いは、刑事であれ民事であれ収益にまつわることであれ、すべて解決するようであってほしい。」