ケネディとオバマ考

20世紀を代表する政治哲学者、ハンナ・アーレントは、「暴力について」(みすずライブラリー)所収のエッセイ「政治における嘘」で、ベトナム戦争におけるアメリカ政府の内幕を暴露した国防総省秘密報告書(ペンタゴン・ペーパーズ)に描かれている政府、およびそのお抱えのスペシャリストたちについてこう述べている。

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・・・肝心なことは、かれらが嘘をついたのは自国のためではなくーーまちがいなく自国の存亡のためではない、それは焦眉の問題ではまったくなかったーーむしろ自国の「イメージ」のためであったという点である。かれらが有能であることは疑いの余地がないにもかかわらずーーそのことはかれらの筆になる多くのメモをみれば明らかであるーー、かれらもまた政治を広報の一種にすぎないと信じていたのであり、この信念の基底にある奇妙な科学的前提に魂を奪われていたのである。・・・

・・・国防総省秘密報告書をめぐる争点の中心が、錯覚、過失、誤算といった類のものではなく、隠匿、虚偽、意図的な嘘の役割といったものになった主な原因は、少なくともバンタム版での記載を見るかぎり、誤って決定や嘘の声明が諜報機関の驚くべき正確な事実の報告を一貫して無視して行われたという奇妙な事実にある。ここで決定的に重要なのは、嘘をつく政策が敵に向けられたことはほとんどないばかりでなく・・・主として国内向け、国内での宣伝のため、とくに議会を欺くことを目的としていたという点である。敵はすべての事実を知っており上院外交委員会は何一つ知らなかったトンキン湾事件は、その一例である。

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考えるべきなのは、こうしたイメージのための嘘がケネディ政権の下でまかり通ったこと、また同じ民主党オバマケネディ同様、あまりにも華々しく清新なイメージを纏って登場したことであろう。

ノーム・チョムスキーが「メディア・コントロール」(集英社新書)で指摘するように、こうしたアメリカのプロパガンダとイメージ戦略が肥大したのは、同じく民主党であるウィルソン政権下だ。フランクリン・ルーズベルトもイメージづくりの達人だった。もちろん共和党の大統領だってそうなので、イメージの方向性がちょっと違うだけなのだが。またどんな人間でも金をかければ、少なくとも一時は大統領らしく見せかけられることを証明したのが、ジョージ・ブッシュ2世だったと言えなくもない。

暗殺の噂(これも政権サイドから故意に流しているのではと疑われてならない)も含め、なにかとケネディのイメージに重ねられることの多いオバマだが、これには危うさを感じる。ケネディと同じ過ちをおかす可能性、つまりイメージが先行するあまり、それに合わせて間違った手段で政治を進めてしまう可能性があるからだ。本人がそうでなくても、周りがやってしまうこともじゅうぶん考えられる。

ピッグス湾事件を引き起こし、またアメリカのベトナム介入への引き金を本格的に引いたのがケネディだったことを忘れてはならない。また途上国でのアメリカのイメージアップをねらい、じっさいは経済進出の尖兵を担った平和部隊ケネディ政権下でつくられたものだ。アーレントの上のエッセイによれば、これを提唱したW.ロストウはドミノ理論を本気で信奉していたという。

オバマが平和主義者(本人はそんなことは大して言ってないのだが、不思議とそう信じられている。これがイメージの力だろう)のイメージの下にイラクアフガニスタンを抑え、なおかつイスラエルの意向にしたがい、軍事産業には手をつけず経済を立て直す(ほとんど曲芸だ)とすれば、たしかにケネディと同じかそれ以上の、偽善と陰険さを発揮せざるを得ないのではないか。前の民主党大統領であるクリントンがこっそりソマリアに介入(して失敗)し、イラク空爆し、スーダンをミサイル攻撃(そのためスーダンに一カ所しかない製薬工場が破壊され、スーダンの平均寿命は低下)したように。

そして、アメリカ国内でのイメージを守るために、日本経済を食い物にする可能性があることは、言を待たない。ここでもイメージに幻惑されて日本が自ら罠にはまってくれそうな(小泉時代を見れば明らかだ)だけに、よけい心配だ。