小沢発言を評価する

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090225-00000076-jij-pol
在日米軍の削減可能=「第7艦隊で十分」−小沢氏

民主党小沢一郎代表は25日、在日米軍再編に関連し「日本が、自分たちにかかわることはなるべく自分たちできちんとやるという決意を持てば、米軍が部隊をそんなに日本という前線に置いている必要はなくなる。おおむね(海軍)第7艦隊の存在で十分じゃないか」と述べ、陸空軍や海兵隊などの削減は可能だとの考えを明らかにした。大阪市内で記者団に語った。

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与党からも野党からもマスコミからも袋叩きにあっているこの発言だが、私は肯定的にとらえている。また袋叩きにあうのは、これまで与野党、護憲・改憲、安保賛成・反対を問わず、戦後日本がうやむやにしてきたイタいところを突いているからだと考える。

まず、自民党などからの批判は要するに、北朝鮮などの脅威を考えれば第7艦隊だけでは心もとない、アメリカから距離を置くなどとんでもない、ということだろう。

日本とアメリカは運命共同体であるべきだ、アメリカさんのご機嫌を損ねるなんてとんでもない、といった売国派の議論は取り上げるに値しない。しかし、在日米軍はなによりもアメリカのために動くアメリカの軍隊、長居を続ける占領軍であることは、安保条約や日米地位協定を読めばはっきりしている。また、さいきんはテロ戦争を口実にした侵略軍であることも、みんな言わないだけで周知の通りだ。

また、北朝鮮のミサイルも政治的な標的は日本ではなく、あくまで瀬戸際外交のツールとしてアメリカに向けて打っていることもまた明らかだろう(北朝鮮は日本はアメリカの付属品に過ぎず、外交の相手だとは考えていないのではないか)。もし日本に向けてミサイルを打つとしても日本を攻撃・侵略するためというより、それを通じてアメリカに揺さぶりをかけられる場合、つまり米朝外交のダシに使える場合であろう。

日米体制抜きの日本がどれくらい攻めるに値する国なのか、きわめて疑問だ。鎌倉時代のモンゴルだって幕府がクビライの親書を無視しないでちゃんと返答していれば、攻めて来たかどうか。元寇からわずか数年後には、日元貿易が空前の隆盛を見せている。むしろ周辺諸国にとって日本は、とくにこれだけ相互依存を深めている現在、攻めることのマイナスの方がつねに大きい国だったのではないか。

そういうわけで、在日米軍の縮小イコール自衛隊の拡張かどうかは、一考に値する。自衛隊は創設以来、なによりもまず在日米軍の補助部隊で両者はワンセットだが、安保体制下での日本の自衛力=戦力の規模は、在日米軍の規模、すなわちそれが周辺諸国に与える脅威に比例しているとも考えられるからだ。

そこで、日本にとって必要充分かつ日米安保抜きの、本土防衛に限定された自衛力が果たしてどれくらいのものなのか、ここで一つ徹底的にシュミレーションしてみるとよいのだ。今回の小沢発言は、そのいい機会を提供しているように思う。私見では、日清戦争前(つまりアジア侵略を本格的に始める前)、さらに幕末の勝海舟の方針(日中朝の連合軍)がそうであったように、海上兵力を中心とする機動性の高いものになり、北海道の巨大な陸上兵力(これもソ連の侵攻を仮定した冷戦時代の名残りであり、米軍の代替)などはかなり縮小できるのではないか。まして、イージス艦やその有効性が疑問視されているミサイル防衛システムにおいてをや。

ぎゃくに野党や護憲派からの批判としては、日本の再軍備や軍備拡張を容認することになる、憲法第9条に反するといったことが主であるようだ。第7艦隊も含めて米軍にはみんなお引き取り願うべきだ、という批判はまだ知らない。

軍拡の可能性については上で触れた通りだが、現在の自衛隊そのものがすでに世界有数の戦力であること、自衛力は現在の国際法侵略戦争を禁止する各国の憲法条文から考えてもイコール戦力であること、自衛力や日米安保を容認した時点で、すでにそれは解釈改憲に足を突っ込んでいること(たとえばかつて文部省が発行した「あたらしい憲法のはなし」当時の政府の憲法解釈と比べてみればよい)、また在日米軍自衛隊という巨大な軍事力の周辺諸国に対するプレッシャーなどを考えれば、じゃあ今のままでいいのか、アジアや世界を平和にしてるのか、という問いは当然あっていいはずだ。

私には日米安保を前提にした平和主義なるものは欺瞞に思えるし、護憲派自らそれを信じているのはほぼ想像を絶する。要は法の支配を踏みにじることであり必ずや法や倫理を腐敗させる。また日米安保は国連主導のグローバルな安全保障が成立していないことをその存在理由とするが、NATOがほぼ機能停止し、アメリカがアジアおよび世界での軍事を経済的にも地理的にもこれだけ日本に依存している現状では、日米安保アメリカの独走を許しグローバルな安全保障体制を阻害していないとだれが言えよう。

かりに9条を固守するのなら、日米安保には正面切って反対し、条文どおりすべての戦力の(つまり自衛力といった言い訳は認めず)廃棄を主張すべきだ。でなければ大人は騙せても子どもは騙されないだろう。かりに日米安保なしでは9条改訂がどうしても必要になるのであれば、それは改訂する他ない、ということなのだ。日米安保の上に胡座をかいた平和憲法など、日本人の自己欺瞞なのだから。われわれは朝鮮戦争で、ベトナム戦争で、イラク戦争で、平和の夢に耽りながら何百万もの殺人に手を貸している。

もし改正するなら、国連の外での軍事同盟の禁止、国際人権法の遵守(つまり戦争は犯罪とみなされる)、安全保障の理念と原則などをはっきり明記した改憲案をもって改憲論議を盛り上げればよい。このへんは意見の分かれるところだと思うが、私はこちらを選ぶ。それでなくとも多々欠陥のある憲法なのだし

http://d.hatena.ne.jp/santi/20080413/1208069687

小沢発言が、ぬるま湯同然の憲法論議を活性化させる氷水になればと願う。