日誌3日分20100730-0801

日誌20100730:チェンライ→学校

0630起き、シャワー浴び、荷造りその他。下に降りて洗濯物をはす向かいのクイッティオや兼洗濯屋に預ける。アイスコーヒー(量多い)25B飲みつつGHのご主人大久保氏と話し、北タイ情報紙「ちゃ〜お」読んでいると0900あゆみちゃん下りてくる。0600にはすでに起きていたとのこと。お互い待っていた状態。

0930外に出、ムアントーンでガオラオ+ご飯2杯50B。相変わらずうまい。市場へ歩き、とちゅうタイ文字のステンシルシート130B買う。市場であゆみちゃん洗剤や靴、洗剤を購入。試食用にドリアン、マンゴーを買ってお寺など覗きつつ時計台の上のファンキーなカフェ(元教員のギタリスト?氏がトラックを改造してやっている)でアイスコーヒー15?B。ドリアン食べるが、匂いが匂いだけにゴミは他のところで捨てる。

1100宿に向かって歩く。チェックアウト、必要最低限以外の荷物は置いて行く。包丁をお借りしてマンゴーむいて食べ、1200バスターミナルへ。とちゅうTESCO LOTUSで殺虫剤スプレー77B買う。サックロー経由のチェンカム行き(学校の近くを通る)は1400までないとのこと。トゥン経由だと遠回りだしチェンカムで乗り換えが必要なので、待つしかあるまい。バスは1230には入線したので荷物置いて席を取る。この間にバスT向かいのバス会社のオフィスでバンコク行き長距離バス2等448B(チェンライの長距離バスT1910発)買う。

バスは定刻に発車、メーロイライの分岐点を1510ごろ通過。1545ホアインギウ三叉路で下り、学校の入り口へ歩くと英語のガイ先生がトラックで待っている。車に乗って学校の池のほとりの「ヴィラ」(来客用宿泊施設)へ。ハリー、智子さん、綿野さんの3人は30分ほど前に到着。英語のオーム先生が宿泊などの段取りをやって下さり、男3人は教職員用アパートの一室へ。

荷物置いて1700ごろヴィラへ、野菜+ナムプリックガピ、カイパロー(ゆで卵の醤油煮込み、中華風タイ料理)、ご飯、ビール。このラートプラチャー24校の卒業生でチェンライ教育大の5年生(英語専攻)、母校で研修中のチェンカム出身のヌイくんも交えて話す。

2030頃ヌイくんは親戚とまた食事へ。私とあゆみちゃん同行。チェンカムのライブ音楽付きレストランへ。ティラピアの唐揚げ甘酢あんかけ(あんにライムのみじん切りが入っているなど芸が細かい)、トムカーガイ、ピータンのヤム、豚肉のヤムとビール。なんとヌイくんのおごりだが、ここは彼の顔を立てる。親戚のトン氏はチェンマイ県グワーン郡在住、果物や野菜の仲買人で、今回はラムヤイ竜眼)を買い付けにチェンカムに来ている。子どもは2人で上の子はチュラロンコン大学で医療技術を勉強中、下の子もチェンマイ市内の高校に通っている。「教育がすべてだ」とトン氏。

帰りも車(トン氏のピックアップトラックの荷台に乗る)で送っていただき、2230ごろ学校に戻る。アパートに戻り、寝る。

日誌20100731:学校→チェンライ

0530起き、シャワー浴び、綿野さんのプレゼンテーション用ファイルをCDに焼き、この間に撮った自分の写真や動画をDVDに焼く。残りのディスクは預かり、後で清算ラオスでもたぶん使うので)ということにする。

0730朝食。ガオラオ、カイチアオ、ご飯。食後のコーヒー飲んでいると0830すぎ英語のティム先生出てくる。今日の予定話し合い、まずチェンカムへ買い物、あとはギャオ(タニターさん)の予定を見つつ動くことにする。

0930ヴィラに集合し学校の車でチェンカムへ。ロータス(チェンカム唯一の大型スーパー)で買い物。1100すぎスーパーのフードコート(プリペイドカード方式)で昼食。カーオパッガプラオムー+目玉焼き45B。ちゃんと辛い。

ギャオからティム先生への電話ではチェンカム着1400頃の見込みなので、生徒さんの村を訪ねることにする。コーッヤーオ村(モン族の村、ここ 16年ご無沙汰)へ行くとのことで、村回りには同行させていただく。コーッヤーオは見違えるほど大きくなり、モルタルの豪邸?もちらほら建っている。聞くと、手工芸品をチェンカムのナイトバザールに売って稼いでいるとのこと。村びとが直接売りに行くので歩留まりもいいのだろう。農業はマンゴー、トウモロコシなどが主力。

つぎにロンサン村を訪れたが、こちらはやや昔のまま。山で陸稲も作っている。サイニャブリーから移ってきて35年になるケーン製作者に会う。かつて録音させていただいたモンの歌名人、チョンブロン・セングー氏の消息を聞いてみると、いまはサイニャブリーに住んでいるとのこと。

ギャオからチェンカムに到着した旨の連絡があり、バスターミナルへ。ギャオを迎え、私は1500発のバスでチェンライへ。

チェンライには1700すぎ到着。洗濯物30B引き取りつつツーリストインへ行ってチェックイン、洗濯してメールチェック、バンコクスワンナプーム空港のフライトインフォメーションを確認して1830外へ。スターブライトホテルへ行って空港でのピックアップサービスを尋ねると300Bとのこと。トゥクトゥクと同じ値段なので、お願いする。1930に出発ということで、近所の屋台でカーオカームー30B仕込む。

1930にホテルのピックアップトラックで出発、走っていると着陸して行く飛行機が見える。1945空港着。羽津さん父子を拾い、ホテルへ。羽津さんチェックインの後夕食に町へ。土曜のチェンライ・タナーライ通りは夜市ですごい人出。少し歩いてお粥/ご飯+おかずのオーセンティックな食堂へ。チャーンビールのビールガールが注文取る。トムヤムタレー、パッカナーの塩魚炒め、豚肉のニンニク炒め、淡水魚の唐揚げ(たれ4種類)、ご飯、ビールで 370B。

夜市を歩いてキンキラの時計塔を見、テスコロータスで殺虫剤79B、水9B、CP明治版のヤクルト?13B。宿に戻り、まず寝る。

日誌20100801:チェンライ→ルアンナムター

0615に目覚まし鳴るが、二度寝して0630起き。シャワー浴び、荷造りするうち0715チェックアウト。ムアントーンへ行き、ガオラオ+ご飯2杯50Bを急ぎ食べ、バスターミナルに着くと0732。チェンコーン行きバスは貼り紙では0800だったのだが、乗り場の柱に貼ってある時刻表によると 0830。なんだこりゃと職員に聞くが取り合ってもらえず。やはりタイではテクストの権力は弱い。羽津親子も到着し、最前方に陣取る。後にはツーリストインで同宿だった看護師さん2人連れ。バスを待つ間にセブンイレブンへ行き、ヤクルト10B、豆乳13B、POLO5B買う。

バスは定刻かややフライングぎみに発車。国道1033〜1052〜1174を走る。運転手氏はとなりに座る友人?と話し込み、そのためかゆっくり走る。チェンコーンには1045着。トゥクトゥク30B/人で船着き場へ。公衆トイレは5Bと高め。出国、ボート40Bで1100あっというまにラオス側のホイサイ。

入国カード書いて手続きすると1107。1000Bを両替、250500Kip。イミグレの職員?にトゥクトゥクと路線バスのパッケージを勧められるが一人500Bと聞いてバカバカしくなり、上に歩いてジャンボ(トゥクトゥクラオスでの名称。タイのより大きく、荷物運びに向く)でバスターミナルへ、一人10KK(1KK=1000K)。とちゅう1130ガソリンスタンドで給油を終えて出てくるナムター経由ヴィエンチャン行きバスに出くわし、乗り移る55KK。そのまま高速、ナムターまでの道は中間の補修が雨期に間に合わなかったようでかなり悪い。1400ヴィエンプーカーの手前、バーンファーでトイレ休憩(いつもここだ)。1445ナムターの長距離バスターミナル着。ジャンボドライバーたちはカードに熱中している。ジャンボ10KK/人で市内へ。マニーチャンGHの前で下り、いくつかゲストハウスを物色し中国系のYurinan GH(1階はHONDAの販売店)を3人部屋エアコンなし50KKに値切る。部屋広い。

SIMをラオスのETLのに入れ替え、今回お世話になるADRA Japanの小出氏に電話するがクレジット切れている。二軒となりの店で10KK補充。そのまま市場の方へ歩き、途中の重慶飯店で遅い昼食兼夕食。店?の人びとは麻雀に熱中している。麻婆豆腐(ちゃんと花椒が効いている本格派)、ナスとピーマンのニンニク炒め、ジャガイモの千切り炒め、宮保鶏丁(ピーナツの入った代表的四川料理)、ご飯(洗面器に入って出てくる)、ビアラオで73KK。食べている間ちょうど雨。市場へ歩き、たかゆき(羽津(子))のバッグのショルダーベルトが切れたので修理してもらうと2KK。市場ではまたもや手工芸品の店の前で迷うが、踏ん切りつかず(籐製の腰掛けとかヒョウタン製の入れ物とか、すばらしい物が並んでいる)。魚屋(生け簀で売っている)をしばらく見学、中庭へ歩くと携帯電話屋が軒を並べている(ほとんどすべて中国人の店)。携帯用電池の充電器(恐るべき代物)50KK、携帯用電池50KK買う。中国製の携帯は見ていて(いろんな意味で)楽しい。

1830宿に戻り、近くの店で缶コーラ5KK飲んで部屋へ。テレビ付けるとラオスと中国の放送が入る。そのうち移動疲れか2218まで寝てしまう。小出氏からの電話で起きる。いまヴィエンチャンで、予定通り明日1250飛行機でナムター着、マニーチャンGHあたりで待ち合わせることにする。シャワー浴び、3日分の日記付けると2540。