裁判員裁判考

あれよあれよという間に死刑求刑。導入前の「まず民事や軽犯罪に限定しては」「そもそも裁判が身近ではないので、傍聴から始めてはどうか」といった慎重論や、導入反対論もどこへやらだ。ちょっと待った、と言いたくなる。これまでの裁判員裁判の検証は、きちんと行なわれてきたのか。

裁判員が死刑を求刑することは、取りも直さず(どんなに美化しようと)国家が人の命をうばうことに協力することだ。しかし、日本国憲法の問題点の一つでもあるが、日本の裁判では誰の名において裁判を行い、判決を下すのかがでは明確でない。憲法条文にはただ、

第76条③ すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

とあるのみだが、これは読み方によっては死刑判決もすべて裁判員の「自己責任」ということにならないか。そうなれば裁判員が受けるトラウマは大きいはずだ。ましてや冤罪でも起こった時には、責任(手続きや法律上のみならず、精神的な面での)は誰が負うのか。

もう一つ気がかりなのは、下の記事の「大型モニター」だ。うぶな裁判員を動かして(刑事ドラマの、取り調べで「落とす」というやつに方法としては近いかも)検察が望むような判決を出させるために印象操作、悪くするとサブリミナル効果や洗脳すれすれの論告や証拠提示が行なわれ、法廷が限りなくオーウェルの「1984年」に出てくる「憎悪週間」なみのスペクタクルに近づきはしないだろうか。WTCの爆発シーンをくり返し見せられて人々の判断力が軒並み低下し、ジョージ・ブッシュの意のままにアフガニスタンイラクの破壊を容認してしまった例は記憶に新しい。

あと、これは勘違いかもしれないが、被告が政治家だったり行政や国への賠償請求の裁判で、裁判員制度が実施されたという話を聞かないのはなぜだろうか。

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動揺見せた被告=顔こわばる裁判員−初の死刑求刑・耳かき店員殺害
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010102500700

林貢二被告(42)は検察側の死刑求刑に対し、当初はうつむいたまま表情を変えなかったが、時間がたつにつれ、唇をかみ、何度もまばたきをして、動揺を隠せない様子を見せた。

検察側は論告で、江尻美保さん=当時(21)=や祖母の鈴木芳江さん=同(78)=の写真を法廷両脇の大型モニターに映し、2人が幸せな生活を送りながらも、被告の犯行によって非業の死を遂げたと強調。女性裁判員の1人は写真を見ると、悲しそうな表情を浮かべ、下を向いた。

一方、黒いスーツと青いネクタイ姿の林被告は、写真には目を向けず、終始うつむいたまま。検察側から「江尻さんに異常なまでに執着した」と指摘されると、つめを何度もいじり、落ち着かなくなった。

論告は、事実関係などに争いのない事件としては異例の約1時間半に及んだ。検察側は求刑に際し、「誰の上にも起こり得る犯罪。社会的な常識で判断してほしい」と裁判員に向け、訴えた。裁判員は検察官から渡されたメモを手に、真剣な面持ちで聞いていたが、死刑が求刑されると顔をこわばらせる人もいた。

最後に証言台に立った林被告は「遺族の話を聞き、悲しみと苦しみをとても強く感じた。自分の命で償うしかない」といったんは表明した。しかし、「憎しみの対象として生き、自分のしたことと向き合っていくべきではないか」とも。裁判員らが見詰める中、涙声で「心からおわびします。申し訳ございません」と語り、頭を下げた。