書評 関曠野「歴史の学び方について」、窓社

どうひいき目に見ても、関曠野現代日本最高の、かつ最も過少評価され遠ざけられている思想家の一人である。私も若い頃から現在まで、そのことばに触れては大いに影響と恩恵を受けた。

ただ、関のことばは時間をかけて思索され練り上げられているだけに、なかなか人を寄せつけず誤解されやすい面もあるようだ。取っ付きにくく、あるいは奇異なことばづかいに感じられてしまうのだろう。たしかに、民族主義国粋主義というイメージが支配的(いまもそうだが)だったころに、関が「民族」ということばを突如(という感じで)肯定的に使いはじめた時には当惑したものだ。いまはすっかり納得しているのだが。

ではどの本から入るのがまだ取っ付きやすいのか。私は本書か、北斗出版刊「ハムレットの方へ」を真っ先にあげたい。

この本はちょうど、自由主義史観とか新しい歴史教科書を作る会をめぐる議論が盛り上がっていた頃に書かれた。関は左派の揚げ足取り的な議論にくみすることなく、歴史を持つことの意味、さらに学び議論することの意味を古代にまでさかのぼり徹底的に掘り下げ、同時に作る会などの「はじめに結論ありき」な議論を一刀両断している。この本は歴史哲学のみならず、教育学、政治学の概説書としても超特級(酒か?)だ。

けっきょく、自由主義史観はフジサンケイグループの一連の本にこじんまりとまとまり、「作る会」も教科書がぜんぜん採用されないので、藤岡信勝氏をはじめ干されかかっているようだ。しかし、関氏のこの本が生まれるきっかけとなったことを考えると、歴史の中で一定の役割を果たした、と言えなくもない。「死もまた社会奉仕」(石橋湛山)というところか。