タイ国王考

やっぱりプミポン国王は期待を裏切らない。国民向けのパフォーマンスではあるのかもしれないが、やるだけ偉い。

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http://www.newsclip.be/news/2008508_018930.html
「足るを知る経済」 タイ国王がベルト修理を依頼

【タイ】タイのプミポン国王に自作の靴を献上したことのある靴職人、ソンクライ・ネンシニンさんのもとに、国王からワニ革ベルトの修理の依頼が入った。茶色が3本、黒が4本の計7本。革がはがれたりひび割れが入るなど傷んでいるが、国王はこれらのベルトを修理して今後も使い続けたいと希望しているという。タイ字紙タイラットが報じた。

プミポン国王は歯磨き粉を最後まで搾り出し、鉛筆は短すぎて使えなくなるまで
使い、靴もぼろぼろになるまで履きつぶすといわれる。「足るを知る経済」という言葉を用いて政治家や企業に充足型経済を提唱するとともに、国民にモノを無駄にしないよう呼びかけている。

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もちろん、経済学の(しかし隠れた前提の多い)常識から言えば、安物の大量生産/大量消費こそが王道だ。しかし、それはタイ一国の経済にもほんとうに妥当することだろうか?生産は極大化するにしても、分配はどうなるのだろうか?ケインズ的に考えれば、経済規模は縮小しても完全投資に近づけば、その分暇で良いのでは(江戸時代の日本)?途上国を見ると、経済学の優等生みたいな国は片っ端から破綻して、マレーシアやブータンみたいな不良国家の方がうまく行っているのではないか?工業製品の輸入を抑えて天然資源や食糧の「売り惜しみ」こそが途上国の未来の戦略ではないだろうか?あんがい、国王なりの深謀遠慮があるのかも。

たぶんこれは勘ぐり過ぎで、たんに仏陀の教えに忠実なだけなのかもしれない。

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究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。

足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の家で貪ることがない。

他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)心を起こすべし。

また全世界に対し無量の慈しみのこころを起こすべし
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行なうべし)

立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この心づかいをしっかりとたもて。

この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

(「ブッダのことば スッタニパータ」中村元訳、岩波文庫