日誌20100403:ムアンローンの一日

0630起き、シャワーと荷造り、メインストリート沿いの小出さん宅へ引っ越し。たしかに大きく立派な家。タイもそうだが、地元の人が(相対的には)金持ちの外国人に貸したがる家は、どうもこういうのになりがちだ。

腰に負担がかからないよう荷物は2回に分けて運び、2回めを運び出すときにチェックアウト。整体や東洋医学に詳しい小出さんから腰痛体操を教えていただく。腹筋、背筋、脚の屈伸などの組み合わせ運動なのだが、我ながら情けないくらい筋力が落ちていることを実感する。今回の腰痛もきっとそのサインなので、これからはもっとからだを動かそうと誓う。お灸も据えていただき、だいぶ楽になる。

たまっていた汚れ物を洗濯、愛用のチューブ入り洗剤がやっと空になる(二本めはすでにケルンの駅で買ってあるので、早く使い切りたかった)。洗濯物を干し、やはりたまった日記を書いていると、1100前にADRAスタッフで英語通訳のノイくんが呼びにくる。ほかのスタッフに子どもが生まれたので、バーシー(健康や幸せを願って、手首に糸を巻き付ける儀式)を行なう準備ができたとのこと。小出さんとバイクで町のマー川寄りにあるルアンパーカム村の会場へ。すでに賑やかに会食が始まっている。赤ちゃんの手は、たくさんの人が巻いた糸で手袋をはめたよう。小出さんと私も、願い事(日本語でよい)を唱えつつ巻く。それから会食に参加。カノムチーン、ラープ、ゲーン、タケノコのスープなど、ご馳走が並ぶ。料理はノイくんが仕切ったとのこと。牛肉のカレーは一緒に煮込んであるサトウキビのぶつ切りがいい味を出している。ノイくんはボケオ県フェイサイ近くの出身、ルアンパバーン大学教育学部で英語を学び、ツアーガイドなどの経験もあるようで地方の文化に詳しい。ちょっとした民俗学者

ビアラオに続いて焼酎の回し飲みが始まる。ホストのADRAスタッフの人が小さな杯を持って注いで回っている。彼は政府の役人だが、ラオスのような途上国のいちおう社会主義国ではNGOに政府職員を雇わせることが活動の条件になっているためだ。ただし小出さんによると仕事はたいへんよくでき、出世街道をばく進している人だそうで、おそらくNGOで働くことがスキルアップやキャリアアップの機会ともみなされているのだろう。ちなみにヴィエンチャンには正妻がいて、こんどの子どもの母親は二号さんである由。会場や家族の皆さんの表情には、まったく屈託がない。

焼酎はラオ・ポンサリー(ポンサリー県から来た酒)だそうで、たしかにうまく、そして強い。これ以上飲むと絶対気分が悪くなるレベルに来たので適当に休み、また宴は延々と続くに決まっている(この辺の持続力は大したものだ)ので、1300ごろ失礼する。家に戻ると爆睡。

目覚めると1500、シャワー浴びて着替え、日記の続きを書いたり乾いた洗濯物を取り入れ、小出さんと市場へ夕食の買い出し。もとの市場は建物を新築中で一時的に移転している。小出さんによると、柱を引っこ抜いて大勢でお店丸ごと運んで行ったとのこと。タケノコやシンムー(豚肉とハーブなどを木の葉で包んで蒸し焼きしたもの)、卵など購入。家に戻りトマトとキャベツのスープの炒り卵入りを作る。シンムーや腐竹(タケノコの発酵したもの)を旨味付けに入れる。ナムプラー、塩で味付け。小出さんがご飯を炊いておいて夕食。

1900、ADRAオフィスへ行き、アカ族のスタッフ、ソンミットくんの調査の成果を小出さんと見る。彼のテーマはNTFP(= Non Timber Forest Product、非木材森林生産物。要はキノコや山菜、果実など、木材以外の山の幸のこと)で、デジカメで撮った写真を見ながら説明してもらい、私の怪しいラオス語で小出さんに通訳する。たしかに森とともに生きてきた人びとだけあって、薬、食料、原材料(繊維など)などじつに多彩。地元の人は使わないが、中国人が買い付けにくるので採集して売っている、という植物も少なくない(漢方薬の原料などだろう)。アカ族には、村で誰かが亡くなると野生のカルダモンを死に装束や家の戸に差す習慣があるとのこと。屍臭を抑える目的もあるのだろうか。またアカ族は使わないがランテン族(文化的にはより中国に近い少数民族)は使うような薬草もある。

今回ムアンローンを訪れたのは、小出さんなどと計画中の消え行く焼畑の記録ビデオについて方針を打ち合わせるためでもあり、ソンミットくん、小出さんとブレインストーミング。ソンミットくんのこうした調査成果やNTFPの専門家であるルアンナムター県農林局のカムレック博士の存在、あとラオス焼畑農業の特色は焼畑そのものに加え焼畑から森林に回復する過程で、それぞれの段階で採れる多様な産物の利用であることを考えると、ちょっと軌道修正した方がよいのでは、ということになった。むしろNTFPを中心にすえ、それを産出する場所として焼畑の跡地利用にリンクさせて行く、またビデオもNTFPの様々な産物の採集から利用を一本のビデオ作品にすることから始めると、ソンミットくんがこれから作るレポートにもリンクできてよい。またそのレポートも、従来出版されたような学者や専門家向けでなく、村の若い世代に父祖の知恵を継承することを第一にした内容、構成にしてはどうか。それならば、伝統的には無文字社会であるアカ族の人びとにとっては、映像資料の方が適合するのではないか。さらに子ども向けの教材として、小中学校の授業で使えるようなものを作っては、などなど。前向きな話で盛り上がっているうちに2400、家に帰り、腰痛体操してお灸を据えてもらい(たしかに効いている)、寝る。