日誌20100404:ムアンローン二日め

0630起き、携帯のアラーム機能が活躍。腰痛体操、またもや小出さんにお灸を据え、背中を揉んでいただく。0800小出さん事務所へ、私は水浴びと洗濯、昨日の日誌書く。1000久々に楽器練習、旅行前につかんだコツを確認する。

1100ごろ事務所へ、メールチェックと昨日の話の続き。ラオスの携帯番号も持つことにし、雑貨や二軒を回るが小出さんお勧めの携帯電話会社、ETLのSIMカードを置いている店なし。バスステーションの中国人経営の携帯電話屋へ。SIMカード+クレジット20000K=50000K。まあ5ユーロだ。女主人が私の顔覚えており(去年の夏ここで電話を借りた)、筆談。湖南省出身とのこと。「毛沢東の出身地だね」というと苦笑される。

1200一時移転中の市場で昼食、アカ族やランテン族の皆さんが買い物に来ており、小出さんのプロジェクトパートナーで、ランテンの村の副村長氏も来ている。ランテンの女性の民族衣装はやはりカッコいい(写真)。


フォー6000K食す。小出さんは事務所へ、私は市場〜バスステーション付近を散歩。市場はまだ古い建物を取り壊していない。新装開店は半年後とのこと。明日乗るナムター行きの車は0900発。市場の隣りには農業銀行とゲストハウスらしき建物が建っていた。ムアンローンのゲストハウスは、どこも一泊40000Kの由。

ADRA事務所へ行き、メールチェックしビデオ作品の企画書を大幅に書き直す。小出さんに見てもらい、「椿山」のビデオ鑑賞。

1600すぎ、日がやや傾いてきたところで小出さんの運転でメコン川べりの町シェンコックへ往復。中国雲南省辺りで見かけるような、大規模なバナナ園ができている。とうぜん中国資本。ここ最近のゴム園の激増といい、けっきょく雲南省ラオスにはみ出してきているのだと思う。また、ラオスの人びとの多くが雲南から移住してきた歴史もあり、そうした現象がわりとすんなり受け入れられているのかもしれない。中国の人にしても、フロンティア(中国沿岸部の人口密度からすると、ラオスはそう見えるんだろうな)を開拓してなにが悪い、かれらも中国経済の恩恵を受けているではないか、といったところだろう。まあ清朝のころの朝貢貿易の再現なのかもしれないが。街道沿いには主にアカ族、ときおりランテン族の村。けっこう派手に焼畑をやっている(写真)。

シェンコックはおそらくタイルー族の町だろう。水位は低いが、メコンの景色が美しい(写真)。

夕方近くなり、帰りがけにランテン族の村、バーンアムに寄る。副村長ガンペーン氏の家を見せていただく。ランテンは竹を多用する文化らしく、高床の家の下には薪と並んで割竹をびっしりと積んである。ランテンは手すきの紙作りでも知られているが、その材料も竹、ガンペーン氏が新築した豚舎も、屋根は二種類の竹を並べて葺いてある。焼酎を盃一杯だけいただき失礼する。

バスステーションに面した角の中華料理屋へ、青椒肉絲と苦瓜の卵炒め、白菜と菜の花のスープ、炒飯で65000K。2000すぎ事務所へ行くがパソコンもカメラも電池切れ、歩いて家に戻り充電、日誌書くと2200。さっさと寝る。