失敗の本質考

避難区域見直し「同心円でない」=放射線量次第で20キロ圏外も−枝野官房長官
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011041100392

最悪の事態を見込んで、とくに初動の段階でできるかぎり充分な人・金・エネルギーを投入するのは、災害対策でも戦争でも定跡だ。

しかし、そうしようとすると「弱腰」「敗北主義」「ネガティブ」「過剰対応」「誤報に振り回されている」「国民を不安に陥れる」等々と叩かれる(その根底にあるのはある種の事なかれ主義だが)のも、また日本のパターンだ(岡田氏の「メルトダウン」発言への世の反応を見よ)。そして、なんとなく「一生懸命」で「頑張っている」「親しみやすい」人が持ち上げられ(枝野氏のみならず、東条英機首相もそういうキャラで売っていた)、なんだかそう思いさえすれば万事うまく行くような情緒的期待が、冷静で客観的な分析を片隅に追いやってしまう。

かくして彌縫策を取らざるを得なくなり、「戦力の逐次投入」というおよそ最悪の手段をとる羽目になる。しかし、これは指導層のみならず、上のような世論を形成し、支え、いっしょに踊り踊らされる国民にも多分に責任はある。それは、たとえばこのトピックに関するミクシィ日記のコメントを眺めても明らかだ。

今回の震災や原発事故は、日本や日本人が「失敗の本質」(中公文庫)が旧日本軍について指摘するような、負の体質からまったく抜け出していないことを残念ながらあらためて示したといえよう。

大失敗はワザとするものではなく、習慣に従い善かれと信じてやるところに生じるのだ。長いものを盲信して巻かれ、流されるのもある種の怠慢なのだが。

失敗の本質—日本軍の組織論的研究
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