暗殺テロリズム考

世間はオサマ・ビンラディンを「どうやって殺したか」とか「歓喜に沸き返る米国の人びと」(まったく恐ろしい国だ)で持ち切りだが、ここはテレビを離れて(そもそも持ってないが)よく考えてみたい。

まず、これは政治的暗殺ではないのか。少なくとも戦争の一部ではあるまい。イラクにしてもアフガニスタンにしても、あの現状を国際テロ組織の仕業というには無理があるのではないか。どうみても占領や傀儡政権が引き起こした内戦であろう。またアメリカの国内法でも、現在は政治的暗殺は禁じられているはずだ(恐ろしいことにベトナム戦争あたりまでは合法だった)。

また、いやしくも主権国家において、外国の軍隊が殺人作戦を展開する、ということがあっていいのだろうか。日本やオランダで米軍の特殊部隊がヘリコプターで急襲し対テロリスト作戦を展開する、といった事態を想像してみてほしい(テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」にそういうシーンがあったなあ)。これはどうみても主権の侵害だ。どういう国際法規によって、今回の暗殺は正当化されるのだろうか。

さらにいえば、これは対テロを名目にしたテロそのものではないか。テロリズムの語義は、暴力と恐怖を与えることで政治に影響をおよぼす企図のことだからだ。今回のテロが、ほかのテロ組織やテロ国家に一種のゴーサインを出し、負の連鎖を生んでしまう恐れは充分にある。

だから、相互性の問題も生じる。たとえば、100万人を超すイラク人を死に追いやった(これは事実だ)、「多国籍軍」なる国際テロ組織(上のように立場によってはそうなる)の頭目だったから、という理由でジョージ・ブッシュ・ジュニアやトニー・ブレアに対する暗殺作戦が計画・実行された場合、米英はどういう論理でそれを非難するのだろうか。「我々は常に正しく、君たちは常に誤っているから」という以外にないのではないか。しかし、それをどうやって正当化するのか。

そもそも、オサマ・ビンラディンがアルカーイダの頭目であるとか、世界同時多発テロの首謀者であるとか、一度でも物的証拠が示されたことがあっただろうか。記憶を甦らせてほしいのだが、オサマ・ビンラディンがビデオで犯行声明を出したのは9.11の事件からかなり経って、容疑者として名前が挙がり一躍有名人になってからだ。あのタイミングでは、目立ちたがりやの自己宣伝だった可能性は確実な証拠でもないかぎり否定できまい。FBIも途中で捜査を打ち切り、あの事件の背後関係はけっきょく闇のままだ。マスメディアの耳を聾する空騒ぎによって、犯人らしく見せかけているに過ぎない。

そして、いま現に行なわれている人権侵害・犯罪行為として、グアンタナモ刑務所に不当に収容され(いつまで続くんだ?)ている人びとのことを忘れてはならない。オバマ氏の公約はまだ果たされてはいないのだ。

最後に、この暗殺によって世界はますます道義的に腐敗し、国際協調や国際人権法の精神を失い、国連はますます無力化し(例によって潘国連事務総長は沈黙しているようだが)、暴力と脅迫が物をいう無道の世にはまり込んで行くのではないか。少なくとも子どもたちは、気に入らないやつはやっつけていいんだ、と思うことはあっても(それが米国では正義と呼ばれているのかもしれないが)、正義とか公正とはなにか、をこれから学ぶことはないだろう。「自分がされたくないことは、ひとにもしないように」なんてどうして教えられるのか。教壇にも立つ身としては、それがいちばん心配だ。