アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第2章

(p.15)
II

基礎となる原理

 わたしには、理想の政治組織において、その基礎をなす原理に関する綿密な学術論文を執筆しようなどという意図はみじんもない。しかしながら、二、三の原理で、その上にしか安定した政治構造が築かれ得ないようなものに関しては、分析が必要だ。そうした根本的な思想を簡潔に解明しておかなければ、どんな憲法の制定も無益かつ無意味に終わるだろう。
 第一にはっきり理解しておかなくてはならないことは、国や時代を問わず「最高の憲法」なんてものはありえない、ということだ。政府は、過去の伝統や現在の境遇にしたがって組み立てられるほかない。「特定の時代の、特定の国にとって最良の憲法、それがもっとも効果的に国家の存在目的に貢献するだろう。」*1 おそらくアリストテレスこそ、この立場を強調した最初の思想家であった。国家が存在するのは、個々人にその能力の範囲で最もよい生活を送れるようにするためで、「最良の人生を送るのは、境遇がゆるすかぎり最良の方法で統治された人びとであろう。」*2 そういうわけで、われわれが国家を判定するには、国家に固有で特徴的な価値基準だけでなく、

1 ‘Dictatorship and Democracy’, p.217.
2 「政治学」→ページ!

(p.16)
「その市民が送る、生活の質という基準」にもよらねばならない。
いっぽう、国家は形態が異なってもその目的は基本的に同一で、ただ構成を地域の事情に合わせて変えざるをえないのである。

国家の目的
 しかし、国家の目的とはなんだろうか。じっさいこの問いは、政治思想が古代から現代に至るまでそのまわりを回り続けてきた回転軸である。ギリシャ人にとって、「国家とは生における至高の事実であり、個人の努力や行為は、あたかも川が海に注ぐように、国家の中に流れ込む。」*2 アテナイ人にとって、市民権は最高の栄誉であった。かれらにとって、「都市国家において理論とは、政治であるとまったく同時に倫理であり、社会学であり、経済学でもあった。」*3 都市国家とは「共通の生活」であり、結果としてギリシャの政治理論の根本をなす思想は「共同生活における調和」であった。プラトンの見方では国家とは小宇宙であり、そこで個々人は適切な居場所をみつけ、自分に合った義務を果たすことができる。アリストテレスの信ずるところでは、国家の目的とは倫理的なものであった。それは、「できるかぎり最良の人生をめざす、対等なものからなる共同体」である。ローマ人は、国家の目的に関して大した見通しはもっていない。かれらのエネルギーはもっぱら、ローマ帝国の拡大に吸い取られて行ったからだ。中世のあいだ、キリスト教会の著述者たちの一般的な見方は、国家とは神の掌中の道具で、キリスト教を衛もるためのものであった。ホッブズによれば、国家の目的は秩序を維持し財産権を保護することだ。

1 ‘Philosophy for our Times’ by Prof. Joad, p.331.
2 ‘Principle of Political Science’ by Gilchrist, p.460.
3 ‘A History of Political Theory’ by Prof. Sabine, p.13.

(p.17)
ロックにとっては、政府の目的は「生命と自由と所有地」を保護することであった。ルソーは、国家を「一般意志」を満足させる「社会契約」とみなした。ヘーゲルギリシャの理論をよみがえらせ、国家はもっとも偉大な現実だとした。「国家という存在は」ヘーゲルは書いている、「現世における神の運動である。」「それは世界における絶対的な力であり、それ自身が己の目的であり、対象である。」ベンサムは、国家は「最大多数の最大幸福」を保証するために存在する、という見解に固執した。ハーバート・スペンサーにとって、国家とは「株式資本を護るための相互保険会社」である。ジョン・スチュアート・ミルは、個人の自由を実現することは国家の神聖な義務である、と情熱的に主張した。マルクスは、国家は「無階級社会」が確立されたあかつきには「衰弱死」すると予測した。われわれの時代でいうと、ラスキ教授は国家を「共同生活を豊かにしようとする人びとの連合体」とみなす。バーナード・ショウにとって、国家の目的は「一階級ではなく全人民に対する、できるかぎり最大の福祉」でなければならない。ウェルズは世界国家の設立を提案し、そこでは万人の自由・健康・幸福を、人権の法的解釈としての普遍的法律が護っている。
 インド政治思想の主なものが見いだされるのは、二つの叙事詩−−「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」、「マヌの法典」、カウティリヤ(チャーナキヤ)の「実利論(アルタサストラ)」、シュクラチャリヤの「ニティサーラ」である。「ラーマーヤナ」は人民が幸福で平和かつ豊かな、ラーマ王の理想的な王国を描いている。

1 ‘Grammer of Politics,’ p.37.
2 ‘The New World Order,’ p.122.

(p.18)
マハーバーラタ」中の「平和の書(シャンティ・パルヴァ)」において、ビーシュマは王朝の責務を列挙しており、それによると国家の枢要な目的は市民の「保護」であり、それによってかれらは幸福で、有徳かつ調和のとれた生活を、おのおのの真理(ダルマ)あるいは義務にしたがって営むことができる。カウティリヤもまた基本原則として強調するのは、人民の幸福と福祉こそが、王あるいは国家の第一の義務である、ということだ。「王の幸福は臣民の幸福のうちにあり、王の福利は臣民の福利のうちにある。」*1 「シュクラニティ」では、王は第一に臣民の「保護者であり後援者」であり、かれの責務は、めいめいが他の領分をおかすことなく、自己の真理(ダルマ)の命ずる職務を果たすよう、その市民をしつけることである。

全体主義国家対全体的人間

 これらのヨーロッパとインドにおける政治理論をすべて、国家の目的と昨日に関してつぶさに分析するならば、われわれは二つの明確な思想潮流をみとめずにはいられない。思想家たちの集合の一つは、より多くの重要性を国家にあたえ、個人の自由は国家権力に従属させる。かれらは国家を賛美・神格化し、その負担を個人に負わせる。ここでの国家の目的は、市民を調教し強力な政治マシーンのたんなる歯車の歯に変えることだ。この思想潮流は独裁と専制、そして全体主義へ通じる。政治思想家のもう一つの集合は、人間を「万物の尺度」とみる。かれらにとっては、個人の自由と発展こそが至高の動因である。

1 ‘Arthachastra,’ p.38.

(p.19)
国家の機能は、かれらによれば個々人の権利の安全確保である。かれらは人間を手段ではなく、目的としてあつかう。クーデンホーフ・カレルギ伯は、その「人類に立ち向かう全体主義国家」のなかで、政治思想におけるこれら二つの流派を「全体主義国家というスパルタ的理想」と「全体的人間というアテナイ的理想」に分類している。スパルタにおいて、人間は国家のために生き、いっぽうアテナイでは、国家は人間のために生きていた。これら二つの政治イデオロギーはまた、集産主義と個人主義としても説明されてきた。真実はこれら二つの潮流の、幸福な融合のうちにある。
 国家の果たすべき目的あるいは機能とは、個人と国家それぞれの利害を、相和するように調整することである。ちがう言い回しをするなら、そのめざすところは、自由と権威とをつり合わせることであろう。国家は個々人に相互の適応と集団的な福祉とをうながし、増進し、強めねばならない。個人はその国家に対する義務を果たさねばならず、また国家は個人の権利を護り、その人格が可能なかぎり最大限に発展できるようにせねばならない。トーニー教授は、おなじ考えを表現するのに「機能的社会」ということばを用いた。すなわち、機能や公共の福利が権利の条件となっている社会である。*1 いいかえると、個人の権利や自由は相対的で条件づけられており、それは至高でも絶対でもない。
 「個人の自由とは」A.G.ガードナーによれば「社会的には無秩序(アナーキー)を意味する。」「万人の自由が保全されるためには、各個人の自由を切り詰めねばならない。」

1 See ‘Acquisitive Society,’ by Prof. Tawney.

(p.20)
完全に個人的で、しかも他人の自由に障らないことならば、われわれはなにをしようと勝手だ。ガードナー氏いわく「もしわたしが、ストランド 1)」へバスローブ姿で、しかも垂らしっぱなしの髪に裸足で出て行ったとする。だれがそれにノーを言えよう?ひとはわたしをあざ笑うかもしれないが、わたしにもそれを気にしない自由がある。また、わたしが空想の中で髪を染め、口ひげに(天国では禁じられている)ワックスでつやを出し、高い帽子とフロックコートにサンダルをはき、あるいは遅く寝て早く起きたとしても、そうした空想に浸る許可をだれかに求める必要はない。」*1 しかし、われわれがそうした内面の王国を一歩でも踏み出したとたん、己の行為の自由を他者の自由が制限する。世界に多くの人がいる以上、われわれは自分の自由を人びとの自由に適応させなければならない。
 自由放任あるいは絶対的個人主義の教説は、すでにドードー鳥のごとく絶滅した。それが思想的地歩を得ることはありえない。しかし現代の傾向では、個人の人格を国家という祭壇への犠牲に捧げるのは、もっとも非難すべきこととされる。カントによる定式化、「汝の人格においても、あらゆる他者の人格においても、人間性を単なる手段としてではなく、つねに同時に目的として扱うように行為せよ」2) はまったく真実だ。だから、人間性に対する罪の例として、国家の軍国主義的組織による個人の搾取や抑圧があげられる。そうした統制は必ずや独裁へと通じ、それはシェイクスピア風にいえば二重に呪われている。独裁は支配者にとっても、支配されるものにとっても呪いであるからだ。全能の国家は個人をたんなる記号におとしめる。それどころか、そうした全体主義国家では、ファシズムであれ社会主義であれ、行きつくところはひとりか数名の「超人」による支配であり、かれらだけで数百万人の命運をにぎっている。しかし人類が存続するためには、そうした超人たちなしで−−たとえ高貴だろうと志が高かろうと−−やって行かねばならない。

1 エッセイ ‘On the Rule of the Road’

1) ロンドンの中心、トラファルガー広場から延びる大通り。
2) 要出典

(p.21)
しかし人類が存続するためには、そうした超人たち−−たとえ高貴だろうと志が高かろうと−−なしでやって行かねばならない。「たったひとりの偶像で政府が間に合うような文明に、希望などあるわけがない。」ヒトラームッソリーニの目を見張るような台頭と没落があざやかに示したのは、傲慢不遜な独裁の虚しさである。ヒトラーが死んでいようとまだ生きていようと、かれがすでに神話か寓話にすぎなくなったことに変わりはない。

ロシア的民主制

 ロシアの政府はちがうかたちに進化しており、いっぱんに「プロレタリア独裁」の語で知られている。マルクス主義的国家が目標とするのは、無階級の民主的社会だ。しかし、そうした社会を達成しようとして、国家は最終的には消滅するという希望のもとに、大衆への冷酷なまでの統制が行なわれてきた。しかしオルダス・ハクスリー教授が指摘するように、「このように極度に中央集権化された独裁国家は戦争によって打ち倒されるか、下からの革命によってひっくり返されるであろう。けして小さくはない理由から、そうした国家こそ『衰弱死』すると予想される。」*2 ジョン・ガンサーは恐れる。「ロシアに現れるのはプロレタリアの、ではなくプロレタリアの上の独裁かもしれない。」*3 ジョアド教授は「道徳および政治哲学への案内」のなかでこう述べている。

「歴史を研究して分かるのは、独裁はその本性からして、年月を経るにしたがいより(穏健にではなく)極端になり、批判に対してより(寛容にではなく)神経質になり、我慢を失うことだ。

1 ‘Everybody’s Political What’s What?’ by G.B. Shaw p.341.
2 ‘Ends and Means,’ p.63.
3 ‘Inside Europe,’ p.574.

(p.22)
現代世界の展開から、この見方は支持される。しかるに共産主義の理論が仮定するのは、歴史が教えるところとはまるっきり正反対のことであって、ある時点に来ると独裁政府が自分からそのエンジンを逆回転させ、その権力を廃棄し、それまで否定していたはずの自由を認めはじめるのだ、と言い張っている。歴史にせよ心理学にせよ、この結論を保証することは無理であろう。」

ギンズバーグ教授が、「心理学と社会」の中で指摘するのは、「いかなる中央集権化された政府でも、寡頭制に向かう傾向をもっているか」である。アチャリヤ・ヴィノバ・バーヴェも同じ意見で、なぜなら中央集権化には、それが資本主義であれ社会主義であれ暴力と抑圧と軍国主義が必要だからである。*1

民主主義を擁護する

 かくして、世界の前に残されるただ一つの選択肢は民主主義だ。それが支持するのは、少なくとも支持すべきなのは、適切に組織された政府のもとで人間の個性を花開かせることである。個人の自由を確証するいっぽう、政府がたえまなく個々人に想起させるのは、かれらは合法的に権利を行使するにともない、国家と社会に対するいくつかの義務も果たさなければならない、ということだ。リンカーンは民主主義を定義して、「人民の、人民による、人民のための政府」と呼んだ。このゲティスバーグにおける箴言は陳腐な決まり文句に貶められてしまっているが、その重要さはふつうに想像されるよりもはるかに大きい。エレノア・ルーズベルトが指摘するように、民主主義の基礎は道徳と信仰である。

1 ‘Swarajya Shastra’ Hindi Ed., pp.24-25.

(p.23)
それは兄弟愛とお互いへの深い思いやりを意味するのだから、「自分自身の成功は、それがほんとうであるためには、他者の成功に貢献するものでなくてはならない。」*1
 プラトンが民主政に好意を示さなかったのは、傾向として「怠惰でふしだらな連中」*2 が動かしている、という理由からだった。その理由から、かれは「哲人王による啓蒙された専制」を民主政よりも好んだ。ルソーは、完璧な民主制は人間には不適当だと考えた。「もし神々からなる人民があれば、その人民は民主政をとるであろう。」*3 ド・トクヴィルの結論では、民主主義の行きつくところはのっぺりとした凡庸である。ヘンリー・メイン卿の恐れは、庶民による政府が「停滞の時代のこけら落としにな」らないか、ということだった。ラッキーの見るところでは、民主主義は出しゃばり過ぎな自由の反対物である。ビスマルクは、民主主義は「泣きわめいている感傷」だと冷やかした。有名なフランスの小説家ファゲは、民主主義は「無能力者の新興宗教」だと述べた。ニーチェにとって、民主主義は「政治組織の退行形態」であった。ヴォルテールが民主主義に反対したのは、かれにとって人民は牛の群に例えられ、「くびきと突き棒と干し草を必要とする」ものだったからだ。われわれの時代にも、バーナード・ショウは、リンカーンによる民主主義の定義は「ロマンチックなナンセンス」だと考えた。「人民は」ショウが書くところでは、「政府のじゃまはたっぷりやってきた。かれらは反逆した。しかしじっさいに統治したことはない。」*4
 にもかかわらず真実なのは、政府の形態のうち民主制だけが、個人と国家それぞれの利害を調和させうる、ということだ。

1 ‘The Moral Basis of Democracy’ p.13.
2 ‘Republic, Book VIII’ 「共和国 第8巻」
3 (岩波文庫「社会契約論」第3編第4章、p.97.)
4 ‘Everybody’s Political What’s What?’ by G.B. Shaw p.336.

(p.24)
はじめに述べたとおり、あるひと種類の憲法ですべての時代のすべての国に「最高」のものをつくることはできないが、認めるべきなのは、民主主義のみが「よい生活」を発展させる環境なり条件を与えうることだ。「共同体の、可能なかぎり多くの構成員が平等な資格で参加し共有する政府こそが、個人としてのすべての構成員の満足と全体としての共同体の福祉を、もっとも増進する。」*1とブライス卿は述べている。さらに、レナード教授が指摘するように「民主主義は政府の一形態以上のものだ。社会の理想であり、その理想は困難であるのと同じくらいに高貴でもある。」*2
 民主主義の価値が巨大であるのは、それが人間を尊重しているからだ。「政治的民主主義の魔法は」、ウェッブ夫人いわく、「人間の個性を伸張させることにある。」国民的道徳の立場からジョン・スチュアート・ミルが指摘するのは、「民主主義の最高の利点は、国民的性格をほかのどんな政治形態よりも、よりよく、より高く発展させるところにある。」教育的視点からも民主主義は好ましい。なぜならバーンズ教授が宣言するとおり、「最高の教育は自己教育だ」から。民主主義が引いてくる政治的才能の泉は、ほかの政治システムで予想しうるより上流から湧き出ている。
 しかし、人生におけるほかの多くのよきものと同じく、民主主義には数多くの罪も隠されていることは認めねばならない。げんざい民主主義は、数しれない悪徳や弱点に侵されている。

1 ‘Modern Democracies,’ Vo. I p.50.
2 ‘Democracy: The Threatened Foundations,’ p.6.
3 ‘Modern State,’ p.84.

(p.25)
それはまさに審判を受け、あるいは岐路に立っている。では、この民主主義の危機がなにを意味するのか、さらに詳しく調べることとしよう。