アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第4章(3)

ギリシャ都市国家

 ヨーロッパでは、古代ギリシャ都市国家が直接制の自治謳歌した。至高の政治権力は全市民のものであった。「市民たちは」、ブライス卿は書いている、「議会であるどうじに政府であり、執行・立法・司法がその中に納まっていた。」日々、密接な社交が市民の間にあり、政党を組織する必要はなかった。あわただしい選挙キャンペーンもなかった。小規模なギリシャの共和国では、民会において、投票権を持つものの多くにひとりの声を届けることがかんたんにでき、また指導者や行政官になりたがっている者の個人的資質について、各人が自分の意見をつくれた。都市国家が必然的に小さくなるのは、集団生活はそうした国家でのみ可能だからである。プラトンが空想する最高の国家は、そこでの個人の条件をもっとも近くから描いたものだ。そこでは、もしからだの一部が損なわれれば、からだ全体が痛みを感じ、傷ついた箇所に全体が共感をよせる。この理想が現実に可能なのは、その国家が小さく、調和した集団である時だけだ。

1 ‘The Democratic Process,’ pp.249-50.

(p.44)
ギリシャ人にとって、都市とは「共有された人生」であり、その憲法は法律というより、アリストテレスのいう「生活様式」であった。
 ギリシャ都市国家が完璧だというのではない。それはそれで、欠陥や汚点があった。たとえば、だれがその奴隷制を弁護できるだろう? にもかかわらず認めるべきなのは、その調和した平和な共同生活の発展が、とくにアテナイにおいて、ヨーロッパ思想および文化の活力ある温床となったことである。デリスル・バーンズ教授が指摘するとおり、アテナイの生活と自由は生産的だったのだ。「じっさい、アテナイの歴史は、歴史上のどんな都市よりも多くの芸術家や詩人、哲学者に関わっている。建築や彫刻、演劇、哲学において、ほんの短期間にこれほど偉大な業績をなしとげた人びとは、他にいない。」*1

1 ‘Political Ideas’ p.41.