アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第4章(8)

生きるよろこび

 村の生活が立ち直るのは、庶民にとっては祭りや娯楽、余暇活動がよみがえることを意味する。マジュムダール博士は「古代インドの集団生活」で、インドの村における遊びをもっとも遠い昔から描き出している。ヴェーダ時代には、のちに「ゴシュティスgoshthis」として知られるクラブハウスがあった。日々の重労働のあと、夕べに人びとは集い、音楽や舞踊、物語や地域のニュースを談じて楽しんだ。マウリヤ朝の昔でさえ、村では音楽会が、祝日や祭礼のおりに開催された。こうした、村の生活のいま一つの方面でもまた、村びとたちを動かしていたのは同胞と協同の精神であった。こうした公の祭礼に協力しないことは、共同体に対する罪とみなされた。こうした古の伝統は、今日までわが国の村で受け継がれている。縁日はかつて、そして今でも農村部でごく当たり前に開かれている。
(p.62)
 踊りや村芝居、角力、バジャンやキルタン 1) の朗唱を通して、村びとたちは人生のほんとうの歓びを味わった。
 こうした、つらく実直な肉体労働を背景とする素朴な生のよろこびとは反対に、われわれの忙しい都市にあるのは機械による生命なき娯楽、蓄音機や映画、ラジオのたぐいである。機械のスピードに調子を合わせて動くあまり、現代人の生は冴えないお定まり仕事にしばり付けられている。かれは活き活きとした「人間の手ざわり」、すなわち人生を生きるに値するものを見失っている。余暇を楽しむ気になったところで、やはり機械的な娯楽で気を紛らすほかない。心はしだいに機械化し、思考は画一化する。かれに残されたわずかな生のよろこびは自暴自棄に飲むことくらいだが、飲んで死にいたるのがオチである。

1) バジャン(Bhajan)またはキルタン(Kirtan)はヒンドゥー(Hindu)の短い祈祷の歌である。バジャンはしばしば神への愛を表現するのに叙情的な言い回しを使った。カビール、スールダース(Surdas)、トゥルシーダース(Tulsidas)らがその代表者である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%92%E6%83%85%E8%A9%A9

芸術と美

 その芸術と美を、現代の都市住民は誇りとする。しかし、かれらの人工的な生、「生け花」風の文明が生み出せるのは無機化され[crystallized]標準化された芸術、本質において活力と深みに欠けるものである。金銭王[Dollar King]の宮廷では、芸術と美は黄金の物差しによって解釈され評価されるから、オリーブの冠はなんの関心も惹かない。素朴な自然の美という立場からみれば、現代都市の栄光を担ってそびえ立つ超高層ビルも、ひしめき合って立つ鳩舍と選ぶところがない。村びとは、開放された健康な田舎家で人生を過ごす−−私が言っているのはわが国の過去の栄光の遺物にすぎない暗い荒れ果てた小屋のことではなく、かれらがまさしく自然の恵みの中で生きていることだ。村の職人たちの仕事における偉大な倫理原則は共同体への奉仕であり、かれらは仕事の中によろこびを見いだしていたのだ。
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「かれらは善く美しいものをつくり出す、それゆえ働きながら歌う。」*1 そこでは女たちもまた、朝早く一日のとうもろこしを挽きながら歌っている。彼女たちは村の井戸への道すがら、ぴかぴかの鉄鍋を頭の上でバランスを取りながら、しばしばよろこびのあまり踊り出す。村びとたちが描く民俗壁画の素朴な優雅さ、その詩や民謡のたくましさと活力、踊りや芝居の直截な現実主義、工芸の多彩さ。これらを、いわゆる文明的な芸術や文学は悲しいまでに欠いている。
 インドのように古い歴史をもつ国では、芸術や文化は森から、農家から、そして村から町へと広がった。深い思想と情感のほとばしる泉は、田園に囲まれ静かで平和な生をおくる、リシ(聖者)1) たちの心の中に見いだされる。ラーマーヤナマハーバーラタといった記念碑的な詩群は、大学教授や「学者詩人」がつくったのではない。アジャンタ石窟寺院の不朽のフレスコ画を創作したのは、画廊の店主ではない。創造への純粋なよろこびにあって、かれら聖なる画家たちは、その名を後世に伝えるような痕跡すら残そうとしなかった。かれらは「芸術のための芸術」か「生きるための芸術」か、といった込み入った議論にも立ち入らなかった。かれらには、生そのものが偉大な芸術だったから。

国防

地域分散化と農村化は、外国の侵略を確実に防ぐためにも必要である。それはただ、近代戦を拒否することに尽きる。

1 ‘Co-operative Democracy’ by J. B. Warbasse, p.4.
1) リシ(Rishi)本来サンスクリットで、ヴェーダ聖典を感得したという神話・伝説上の聖者あるいは賢者達のこと。
(p.64)
中央集権化された産業は空爆の格好の標的となるから、わずかな爆弾で一国の経済を確実に混乱に陥れることができる。だから、戦略的観点からいえば、大規模な産業が少数の大都市に集中しているような国は、たいへん脆いのである。注目に値する組織は中国の工業合作社で、おそらくこれが、中国人が長年にわたり日本の侵略を耐え抜くことができた要因である。合作運動によって中国のほとんどの村むらは、農家産業のネットワークを辺境の隅々まで広げることで生活必需品に関しては自給自足できた。「周期的に、長く激しい戦争に見舞われる世界では、絶対に必要なもの、食料や衣服は可能なかぎり地域でまかなえるようにすべきである。遠く離れた市場への依存は、緊張が激しいときには致命的となりうる。生産の地域分散化が差し迫った軍事的な要請であるにもかかわらず、この国にすでに存在する、地域分散化された生産のみごとなシステムを無視するのはまったくの気違い沙汰であろう。」*1

1 Report of the Fact Finding Committee (Hand Looms & Mills) p.207.