アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第4章(10)

医者よ、おのれを治療せよ!

 運命の悲劇的なまでの皮肉は、地域分散を処方したのが国連であり、されたのが打ち倒されたドイツだったことだ。ポツダム会議において「三大国」が決めたのは、「地方自治政府はドイツ全土において、民主主義的な基礎の上に再建されねばならず」、「その重点を農業および平和的国内産業の発展に置かなければならない」ことだった。だれがなんと言おうとわたしが固く信じていることだが、そうした地域分散化された経済と政治の運営は、ヒトラーのいた国に平和と長続きする繁栄をもたらすだろう。
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「平和的国内産業」が、暴力をその論理的帰結に行きつくまで行使した国へ導入されるのは、意義深いことである。だが悲劇なのは、ドイツの地域分散化が内発的にわき起こったのではなく、外から押し付けられたことだ。それにしても、戦勝国は熱狂的なお祭り騒ぎにふけっている場合ではない。どうか、同盟国に向けて叫ぶのをお許しいただきたい。「医者よ、おのれを治療せよ!」かりに連合国が、かれらが得意げにドイツへ処方した新秩序を自分たちじしんにも導入するならば、永久の世界平和が、侵略への動機そのものが消滅することによって保証されるであろう。さもなければ、世界はふたたび前代未聞の災厄へとまっさかさまに転落するであろう。
 インドの批評家はかぶりを振って尋ねるかもしれない。「どうしてインドに、ドイツが押し付けられたようなシステム、かれらを永久に縛りつけるようなものを処方しようとするのかね?」わたしは即座に答えるだろう、「かりにインドがそうしたシステムを自由意思に基づいて導入するならば、国内が平和になるだけでなく、海外にも平和をもたらすでしょう」と。インドが、ドイツがそうであったように侮辱され打ちのめされた民族となり、持てる暴力を世界制覇のためにふたたび結集することをひそかに熱望し続ける、といったことはありえない。インドは光り輝く灯台として、搾取と帝国主義の暗闇にある諸民族の導きとなる。インドは他国を搾取することも、他国に搾取されることもないであろう。