アガルワール:自由なインドのためのガンディー主義憲法 第4章(11)

中世回帰主義?

 ガンディー主義に向けられるいちばんありふれた批判は、時計の針を逆転させてわれわれを中世へ引き戻そうとするのか、といったものだ。しかしそうしたガンディー思想への攻撃は、まったくの誤解に基づいている。
(p.68)
ガンディー翁は、村落共同体が完全に孤立した単位として、国や世界から切り離されているようにと願っているのではない。それは不可能だし、望ましくもない。翁が欲しているのは、村落共和制が独立インド政府の基礎的な単位となり、社会・経済・政治にかかわる最大限の自治を享受することなのだ。村むらは適切に協同することでタルカすなわち地区や郡、そしてタルカや地区パンチャーヤット、群会、連邦議会を通じた全インドの中心を形づくるであろう。
 そもそも、村落共同体がそれぞれ孤立した団体だと推定するのは、インドの古代や中世においてさえ誤っている。マヌ法典やマハーバーラタ、カウティリヤによるアルタサストラその他のサンスクリット語文献から知れるのは、そこには各村、十カ村、二十カ村、百カ村そして千カ村ごとにその長たる役人がおり、各々がその下位の役人を監督していたことである。村むらがたいへん幅広い地方自治を、国家の安全や効率性と調和しつつ享受していたこともたしかだ。しかしまた、農村共和制は徐々により大きな政治組織へと変化するのだが、それは連邦制の原理にしたがい、草の根の村落階層に発し、人びとの自治という広やかな基礎の上に一層また一層と積み重ねられたものであった。ラダクムード・ムカルジー博士が指摘するように、これらの異なる統治単位は、小さい順にサバー、マハーサバー、ナッターとして知られていた。この種の階層秩序に関する最良の記録が得られるのは、偉大なるラージャラージャ王治下のチョーラ朝における統治組織であり、かの王を讃える数多くの碑文にあらわされている。もっとも小さな単位すなわち統治システムの根本は、村(ウル)あるいは町(ナガラ)である。
(p.69)
そのすぐ上の単位はナドゥあるいはクーラムと呼ばれる。その次はコッタムあるいはヴィサヤの階層である。この上がマンダラあるいはラシュトラ、すなわち帝国の郡である。K. P. ジャヤスワルは「インドの政治組織」のなかでジャナパダ、すなわち国内にある数多くの地方参事会を代表する王国議会の、憲法にも触れている。これらの事実がはっきり示していることだが、インドの村落システムは部族社会の遺物などではなく、連邦制の原理に基づき協同した統治組織なのである。現代において、こうした協同は当然、はるかに精緻かつ組織されたものでなければならない。しかし、根本にある地域分散化と分権化の理想は、何世紀にもわたる試練を耐え抜いたのであり、将来の憲法の礎石をなすべきものである。そうした組織は、中世へ、ではなく理想的国家への手本となるであろう。「村へ帰ることは」、ラダクリシュナン博士いわく、「原始的になることではない。」「インド生来の存在様式に適合するただ一つの道であり、インドにふたたび目的と信仰、意義を与えるものだ。またわれわれの種族が文明的であるためのただ一つの道でもある。」「インド、その百姓と質素な生活、村落共同体、森の庵や瞑想は多くの偉大な教えを世界に授けたが、だれかを誤らせることも、大地を損なうこともなく、ほかのだれかを支配しようともしなかった。」*1
 それでもなお、偽善者の批評家どもがガンディー主義思想を中世的だと呼ばわることにこだわるのであれば、わたしも遠慮なく言わせてもらおう、

1 ‘Mahatma Gandhi: Essays and Reflections on his Life and Work’

(p.70)
中世回帰主義は近代主義に比べれば千倍もましだ、後者は鉄道を通じた搾取、植民地化、帝国主義、精神を荒廃させる戦争をもたらしたではないか、と。もし進歩なるものの意味を表わすのがそれら現代の物質文明ならば、そんな進歩には災いあれ!