日誌20100329:泉州の一日、いやー歩いた

0630起き。シャワー浴び、生徒さんからの質問メールなどに返事を書く(休み中の特別サービス)うち、0830、朝食(は込み)6階の食堂へ。6階とはいってもエレベーターは5階までであとは階段。つまり地方都市のデパートの遊園地などと同じく、実は屋上。経営者?のペントハウスもある。食堂はバラック小屋のようで、すきま風も入り放題。南国へ来たことを実感する。

朝食はお粥・白饅頭・油条を主食に漬け物などを適当に取るカフェテリア形式。おかずを持ち込む人もいる。たっぷりお代わりして部屋に戻り、仕事を片付けて1000いよいよ外へ。あと2泊分の宿泊費+デポジットを払おうとすると、デポジットは取られず100元追加ですむ。この辺のしくみがよく分からない。あるいは、レセプションの人もよく知らないのかも。

1030泉秀路を東に行ったところのバス停から37路2元に乗り、終点の一つ手前、市博物館の前で降りる。立派な建物、入場無料。展示には興味深いものがいくつかあり、倭冦の使った刀(柄や鍔の形がサーベルっぽい)、宋代の仏像(えびす顔ではない)など。3階のお土産物売り場へ行くと買え買え視線が飛び、後ろから近づいてくる気配を感じ、すぐ出口へ。すぐに37路バスが来て、2元払う。「どこまで?」と聞かれていたらしい。次の台湾博物館で折り返し、また「どこまで?」と聞かれ「東湖」と答えると運転手さんが「1元!1元!」と怒鳴っている。折り返しなので追加料金かと思い財布をごそごそやっていると前の席の高校生?が説明してくれ、「東湖までだったら1元でいいんだ!」という意味だった。親切だなあ。

1200すぎ、東湖より手前で降り、東街を歩く。アーケードのある町並み、しゃれた模様の格子がついたバルコニーなど、東南アジア各地のチャイナタウンの原型を見る思いがする。またマカオの町並みにも似ている。おそらく貿易を通じて、コスモポリタンな汎ユーラシア海域スタイルとでも呼べるものが出来上がって行ったのではないだろうか。

第一病院の向かいのカフェテリアで昼食。スペアリブの酢豚、アサリの辛味炒め(タイ料理のホイ・ラーイと同じ)、トマトの卵炒め、野菜炒め、ご飯をお盆に載せ、スペアリブと大根のスープがついて13.5元。東街をさらに東へ歩き、途中の蘭州麺屋で刀削麺の煮込み(具がたっぷり)6元。

さらに東街を歩いて東湖の角で公衆トイレ(なぜか2階)0.5元。小だったから問題なかったが、大の方は悲惨。いちおう壁で仕切られており(ドアはない)、めいめいの便器がついているのだが、なぜかどれも山盛りになっている。どうして流さないのか、と考えてみたが、要は旧習(昔ながらの溝一本を皆でシェアするタイプ)だと一定時間ごとに自動的に流れてくれるので、いちいち使うたびに流す、という発想がないのではなかろうか。

通りかかった華僑歴史博物館では守衛氏に「明日はタダだから明日来い」といわれ、泉州でのお目当ての一つ、海外交通史博物館へ。建物の前の池には復元した小型のジャンク船が浮かんでいる。チベットの牛皮船、泉州琉球の関係に関する展示など、なかなか面白い。となりのイスラム文物展示館は、泉州で亡くなったイスラム商人の墓石やその碑文の展示が中心。アラビア語の書体に漢字の影響を受けたものがあることは、はじめて知った。下の休憩所でパンフレット20元。

となりのホテルの敷地を通り抜けてバス停へ、鈕楼まで1元。この東街と中山路の交差点あたりがいちばんの繁華街らしい。鈕楼(時計塔)はぜんぜんパッとしない(写真左)が、周囲の建物と町並みが美しい。交差点に面したスーパーに入り、お土産を物色。永春県の5年熟成老酢6.5元、真空パックで小分けされた鉄観音54.1元(+おまけで鉄観音がまるまる一缶)、雀巣珈琲2+1を一箱補充12元。お土産はやはりスーパーで、が鉄則か。

中山路を南に下り、けっきょく清浄寺(11世紀創建のモスク、写真中)まで歩く。入場料3元。1000年ここに立っているのだと思うと感慨深い。周りは建物もモスクに合わせた感じで、心なしかちょっと異国風の顔立ちが多いように思う。近くの「泉州名物」をうたった店の牛排を頼むと、これはどう見てもビーフカレー、うまい。ネギのせご飯とスープで13元。さらに南下して泉州飯店まで歩き、バスで汽車中心站南門へ1元。ホテルに帰ると1830、日記書こうとするが眠気に勝てず、2100には寝る。