書評「逝きし世の面影」渡辺京二、平凡社ライブラリー

 本書はもともと、福岡の葦書房から美しく重厚なハードカバー本として出版された。ところが同社が倒産してしまい(したがって石牟礼道子のエッセイ集「花をたてまつる」も絶版になってしまった。選ばれた文章といい装丁といい、名作だけに残念きわまりない)、惜しまれ、また再刊が待たれていた本である。なので、平凡社ライブラリーの一冊として廉価に文庫化されたことは喜びにたえない(ただやっぱり図版の大きさなどを考えると、ハードカバーの方が読み応えはある。買ってて良かった)。

 ここに集められているのは、幕末〜明治初期に日本を訪れた欧米人の目に映った日本、とくに庶民の生活と自然の姿だ。

 もちろん、エキゾティシズムやオリエンタリズムもかれらのまなざしには混じっていたかもしれない。著者も、その可能性は織り込み済みだ。しかし、明治からつい最近までの日本人のメガネも、また曇っていたことを忘れてはならない。それはクーデターによって生み出され正統性を確信できない明治国家、その存在証明としての強引な強兵富国、欧米(いわゆる「文明」)への劣等感とその裏の憧れとからくる、自らの過去への徹底的な否定という歪みだ。それがアジアへの優越感と連動したことを思えば、ほとんど親殺しと呼んで差し支えないだろう。いらい、自らの足あとを消した近代日本は、欧米崇拝と虚構の愛国心の間を今日までさまよい歩くことになる。

 しかし、近代以前の日本はきわめて完成された文明であり「素朴で絵のように美しい国」であり、簡素だが幸福で満足げな人びとの国、父親も育児にかまける「子どもの楽園」だったのだ。なんとかここに立ち戻って出直すことはできないものか、という願いにも似た思いに読者は打たれるに違いない。

 お上の言う「愛国心」は、ほぼ権威への従順さを意味するに過ぎない。しかし、もし本当に日本の伝統を知り国や郷土を愛する気概を持ってもらいたければ、まず本書を各学校の図書館においてからにしてほしい。